拳銃所持事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:25 UTC 版)
「サンフランシスコ禅センター」の記事における「拳銃所持事件」の解説
アンダーソンは1983年から1987年にかかる事件に関与した。 ゴールデン・ゲート・パークをジョギングしながら通り抜ける間、繁みに入って小用を足そうとしたところ、頭に撃たれた傷跡がある死体と拳銃を発見した。 彼は警察に通報せず、数日間、死体観察瞑想を行い、また、拳銃を持ち帰った。 最終日に死体を見失うと共に、同僚から自殺事件の新聞記事を見せられた。 その後の1988年、彼がセンターの住職となって15ヶ月後、公の場で拳銃を使用した罪で逮捕された。 彼はセンターから1ブロック先で強盗が出たとの報告を受け、センターの車庫に拳銃を隠していたことを思い出し、取りに行った。その後、拳銃を持ちながら公営団地で強盗を捜して徘徊中、拳銃の不法所持の疑いで、数分後に警察に逮捕された。この事件は全米に報道され、彼の経歴に大いにマイナスとなった。 センターは彼に休職するよう求めた。半年後、彼は復帰した。2師による不祥事にセンターは衝撃を受け、共同住職制度の導入することにした。宗純・メル・ワイツマンは、彼の残り任期と、次の1995年までの任期の間、共同住職を務めた。 彼は本事件に関して次のように述べている。 「私は個人的、及び僧侶的の双方の面でこの問題に対処し続けています。何人かの人々は、私の行為が信頼を裏切ったとし、私の教化を支持しなくなった。その他の人々は寛容でした。が、私と私の誠実さに対する信頼は揺らぎ続けています。更に、新規参加者はこの事件を知って混乱し、私が師として適切かを疑問視しています。これらは、私及び私の横柄さや弱さ、肥大化に対する有効な注意喚起です。三宝を保護するための権限は私を権威化し、感覚を膨張させ、結果的に三宝を誹謗してしまいました。この古くからの捻られた業を、今公言します」 1990年代に、幹部会は律に基づき、「苦情と和解用の倫理の法則・手続き」を作成した。そして住職選挙制度を始めた。1995年には像穴・ノーマン・フィッシャーが住職となり、1996年には全慶・ブランチ・ハートマンが共同住職となった。 2000年には、天真・レブ・アンダーソンより1996年に法嗣と認定された慈光・リンダ・カッツが住職となった。 2003年には、宗純・メル・ワイツマンより1993年に法嗣と認定されたポール・ハラーが共同住職となった。 2012年8月13日、創設50周年法要を挙行。
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