技術者への転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 16:51 UTC 版)
「ウィリアム・アームストロング (初代アームストロング男爵)」の記事における「技術者への転身」の解説
11年の間、アームストロングは事務弁護士として働いたが、その一方で工学技術に対する興味を抱いていた。彼は趣味の釣りをしているときに、石切り場の動力用水車を見て、水力が十分に活用できていないと感じた。そこで、彼は水力を利用した回転式の原動機を考案し、友人のヘンリー・ワトソンの工場で試作品を完成させた。この装置はあまり評価されなかったが、アームストロングは次にピストン式の水力原動機の開発にとりかかった。彼は、この装置がクレーンの動力として有効であると考えていた。 1845年にニューカッスルで水道工事が計画されると、アームストロングはこの計画に参加した。彼は、自分の装置を使えば、水道が低地に向かう部分の水圧を利用して、在来型より優れたクレーンを運用できると提案した。彼の提案は採用され、タイン川の船の水面降下用に試作機が設置された。その後、試作機の実績に基づき、さらに3基が増設されることとなった。彼の発明家としての努力が認められ、1846年には王立協会の会員に選ばれている。 水力クレーンでの成功を機に、アームストロングは水力関連機器の製造事業に乗り出すことにした。W.G.アームストロング社(W.G. Armstrong & Company)を設立し、1847年にタイン川沿いのエルズウィック(英語版)に2万2千平方メートルの工場用地を購入した。彼の製品は造船所のクレーンやドック閘門の動力として順調に売り上げを伸ばし、1850年には45基、1852年には75基のクレーンを生産した。その後、年産100基まで増えている。また、橋の建設事業にも参入した。1850年に300人だったW.G.アームストロング社の従業員は、1863年には3800人に達している。
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