技術者・実業家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 07:22 UTC 版)
資生堂グループにおいては要職を歴任した。アメリカ合衆国に駐箚する初代駐在員に選ばれ、1966年(昭和41年)に同国に赴任した。1968年(昭和43年)まで駐在員としてアメリカ合衆国に在留し、その間にコロンビア大学の大学院に進学し、応用薬学EXTコースを修了した。1986年(昭和61年)、資生堂の製品研究所にて所長に就任するとともに、取締役の一人として名を連ねた。なお、その傍らで「皮膚保湿における保湿剤の機能ならびに皮膚保湿の恒常性維持に関する研究」と題した博士論文を執筆しており、同年9月25日に明治薬科大学より薬学博士の学位を授与された。1989年、アメリカ合衆国にある皮膚科学研究所の副所長に就任した。この研究所は、マサチューセッツ総合病院、ハーバード大学医学大学院、資生堂の三者が共同で設立した機関である。1993年(平成5年)5月、資生堂の研究開発本部にて本部長に就任するとともに、専務に昇任した。その後、取締役を退任することとなり、1998年(平成10年)6月からは資生堂の顧問に就任するとともに、理事の一人として名を連ねた。なお、皮膚科学研究所については、取締役として引き続き副所長を務めた。 その生涯のうちに、専門書や学術書などを多く上梓している。また、日本国外で出版されていた専門書の翻訳も手掛けた。公的な役職としては、日本化粧品技術者会の会長、国際化粧品技術者会の副会長、日本香粧品科学会の副理事長など、業界団体や学術団体の役員を兼任していた。
※この「技術者・実業家として」の解説は、「尾澤達也」の解説の一部です。
「技術者・実業家として」を含む「尾澤達也」の記事については、「尾澤達也」の概要を参照ください。
- 技術者・実業家としてのページへのリンク