技術者のための団体
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 05:16 UTC 版)
「SAE International」の記事における「技術者のための団体」の解説
一方、自動車産業の多くのエンジニアは『アイデアの無料での交換』を望んだ。それは、個々人の技術知識ベースを伸ばすものだった。 『ホースレス・エイジ (馬のいらない時代) 誌』を発行していたピーター・ヘルト (Peter Heldt)、そして『ジ・オートモビール誌』を発行していたホレス・スウェトランド (Horace Swetland) の二人が尽力を重ね、その意義を説き伏せ、SAE結成へこぎつける。ヘルトは1902年に「自動車製造をおこなっている会社では、いまや、製造ラインを適用し、技術的な疑問がつぎつぎと生じている。これらは技術を知っている人間同士が共同で解決に当たらなければならない問題であり、業界が一体となり立ち向かうべき問題である。技術面での会合を設け、事に当たるのが最適と考える。この会合での活動の範囲は純粋に自動車に関する技術面であるべきであろう。」と呼びかける。ホーレス・スウェトランドも「自動車エンジニアの広く一般的な声となった」とした。スウェトランドは創設時のSAE幹事となっている。当時、産業界は特許問題で紛争状態であったが、技術者としてはみなつながっていこうという呼びかけであった。
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