技術者時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:38 UTC 版)
「アレクサンダー・カルダー」の記事における「技術者時代」の解説
アレクサンダー・カルダーは1898年、アメリカ・ペンシルベニア州のロートン(Lawton)で生まれた。父アレクサンダー・スターリング・カルダーは高名な彫刻家で、スコットランド生まれの祖父アレクサンダー・ミルン・カルダーも彫刻家であった。二人とも巨大な人物像などや記念碑などを手がけていた。母ナネット・レダラー・カルダーも画家であった。 幼いアレクサンダーは作品制作の仕事を請け負った父とともに、一家で全米を転々とした。両親は8歳のカルダーに工具を与えるなど彼の創造性を高めることに熱心だったが、芸術家になることには反対した。芸術家が、先が不確かで金銭的にも厳しい職業であることをよく知っていたからである。カルダーはニュージャージー州のホーボーケンにあるスティーブンズ工科大学に入り機械工学を専攻し、1919年に卒業した。続く数年間は自動車技師、製図工、治水技師の助手、ワシントン州の木材伐採場の技師などをしたがどれにも満足できず、素描の夜間クラスに通ったこともあった。1922年6月、彼は客船『H.F.アレクサンダー号』のボイラー室の機関士になった。ニューヨークからパナマ運河を通りサンフランシスコに向かう船のデッキで、彼はある朝早く、大海原の水平線の上で昇る太陽と沈む満月が向かい合う様を見て霊感を受け、かねてから関心を持っていた天体の運行の不思議に心を打たれたという。このことが彼を芸術家に導くことになった。 彼は1966年に出版した自伝でこう回想する。 『それはグアテマラ沖の穏やかな海の朝早くだった。巻いたロープの束を寝台代わりに横になっていたら、水平線の一方に燃えるような赤い朝日が昇り始め、もう一方の側に月が銀のコインのようになっているのを見た。』
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