戦闘後の被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:50 UTC 版)
国際連合のレバノン南部地雷活動調整センターは、2006年8月までにレバノンで使用された旧式のクラスター爆弾で、子爆弾の4割が不発のまま残ったとしている。この戦闘ではイスラエル軍によりヒズボラに対して子爆弾644発を積載したクラスター爆弾が最低でも1,800発使用されたが、これの不発分が市街地などに散乱しており、全ての撤去には1年以上かかるとされている。 残留した不発弾が戦後復興に影響する場合もあり、レバノンでは戦闘中に避難していた市民が乗用車で戻ってきたところ、その車列で爆発が発生、驚いた市民らが車から降りて更に爆発が発生し、30分で市民15人が死傷したケースもあると2006年9月20日の朝日新聞が報じている。中には木に引っ掛かった状態の子爆弾もあり、2006年10月23日の朝日新聞報道では、果樹園で取り入れを手伝っていた子供の死亡事例が多いと報じている。同記事は、同年8月14日-10月22日までの間に、20名が死亡、120名が負傷したとしている。 2003年には、ヨルダンのクィーンアリア国際空港において、毎日新聞社のカメラマンであった五味宏基が「取材活動の記念に」とイラクから持ち出した不発弾が爆発し、空港職員が1人死亡、空港職員と一般人の計2名が負傷する事件が発生した。爆発したのは、形状などから地上発射兵器MLRSのロケット弾で散布される成形炸薬弾M77と見られている。 2008年8月に起きた南オセチア紛争において、グルジア政府はロシア連邦軍がクラスター爆弾を使用したとして非難し、欧米マスコミもこれを大々的に報じた。ところが後に、関係者の証言からグルジア軍自身もクラスター爆弾を使用していたことが発覚する。双方の使用による犠牲者は数十名ほどではないかと見られている。 フランスのリヨンとベルギーのブリュッセルに本拠のあるNGO団体Handicap International(ハンディキャップ・インターナショナル)は、「この爆弾で被害を受けるのは、過去98%が一般市民だ(残りが本来の目標である軍人)」と主張し、クラスター爆弾の使用を非難している。
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