戦闘後の情勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 17:23 UTC 版)
磐若塚と雪峠の敗報が佐幕軍に伝わり、後方連絡を脅かされた柏崎はその戦略的意義を失った。桑名軍は28日の早朝までに刈羽郡妙法寺村に集結し、小千谷を放棄した会津軍と合流した。以降の桑名藩主戦派は箱館戦争まで転戦を続けることとなった。 旧幕府軍が撤退し、官軍の焼討ちの噂に怯えた住民達は自宅破壊や貴重品埋蔵などを始めて混乱が広がった。小熊六郎・田代為吉・赤沢録助の有志3人は官軍に陳情して中浜・大久保・柏崎への平和進駐を進めることで混乱を収めたとしている。
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