戦闘後の小競り合い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:08 UTC 版)
新政府軍は確保した黒木に陣を置き、福岡藩と中村藩兵に駒ヶ嶺の南にある椎木までの前進を指示した。9日、両藩は椎木まで前進。椎木は駒ヶ嶺の目前にある土地であり、高台となっている地点から駒ヶ嶺への砲撃が可能であったため、危惧を覚えた仙台藩兵は両藩へ向けて攻撃を仕掛ける。駒ヶ嶺を駆け下りての仙台藩の攻勢は数も勢いも仙台側が上回り、両藩はたちまち守勢に立たされた。その救援の使者を受けた新政府軍徴兵隊は兵を二分して本道と間道を前進。仙台藩兵は間道の高台と本道から現れた敵増援によって包囲の危機に立たされ、周囲の民家に火を放ちながら退却した。 翌10日には西の旗巻峠から仙台藩兵が進出し、黒木の北1kmの大坪に姿を表す。駒ヶ嶺方面へ進出した新政府軍の後方をかく乱するための1部隊での襲撃であった。本来は薄明前の到着を企図していた仙台藩兵だったが、山間の道を辿るのに時間を要して大坪への到着は午前8時。朝方の攻勢となり、新政府軍の不意を突くことには失敗していた。それでも新政府軍への後方を脅かすために、低地であった大坪へ下りていった。 新政府軍でこの地域を守備していたのは中村藩の1小隊のみであったが、中村藩兵は大坪が低地であることを嫌って村落東の高台に陣を構えていた。旗巻峠から東進を続けてきた仙台藩は、結果としてその真正面に進出した形になる。たちまち高台からの狙撃にさらされる仙台藩兵であったが、相手が少数ということもあって中村藩の篭る高台へ向かう。しかし、攻め上ったものの守りは固く、攻めあぐねているうちに新政府側に援軍が到着する。まずは黒木から徴兵隊が駆けつけ、次いで椎木からも新政府部隊が接近するにおよんで仙台藩は攻略を断念。大坪の西へと退却し、旗巻峠に集結して再び新政府軍の隙をうかがうことになる。合流した新政府軍は山地に逃げ込んだ仙台藩兵を追わず、それぞれの陣地へと戻っていった。
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