戦闘後の両国とフランス艦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 14:50 UTC 版)
「1795年4月10日の海戦」の記事における「戦闘後の両国とフランス艦」の解説
コルポイズはワイト島沖で、ロバストの艦長エドワード・ソーンバラから、4月11日の早朝に、ハンニバルがフランス艦ジャンティーユの拿捕に成功したことを知らされた。ジャンティーユの艦長は、はるかに優勢なイギリス軍を目前にして戦わずして降伏し、解放水域で自分の艦が拿捕されたことにショックを隠し切れなかった。ハンニバルのジョン・マーカム(英語版)艦長はこれに対して、誇らしげに「ハンニバルは魔女の如く航行する」と述べた。その後ハンニバルはロバストと合流してフラテルニテを追跡し、凪の時期に入って相手に遅れを取る前に、フラテルニテの数か所を砲撃することに成功した。数日間の追跡の後、フラテルニテの艦長は艦上の大砲と物資を海に捨てて艦を軽くし、ついに追手を逃れて、その後ブレスト艦隊に加わり、多くの作戦に従事した。グロワールとジャンティーユはイギリス海軍に売却され、コルポイズ艦隊の全乗組員が、事前の取り決めにより賞金を手にした。しかしいずれの艦も状態が良好であるとは言えず、イギリス艦隊で就役した期間は長くはなかった。コルポイズはポーツマスでの修理を短期間で終えると、戦隊と共にブレスト封鎖に戻り、その年いっぱい封鎖の任務についた。
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