戦後の経営難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:48 UTC 版)
戦後、深夜叢書が合法化されると、ヴェルコールは1945年に正式に株式会社を設立した。だが、商業的には『海の沈黙』が成功を収めただけで、深刻な経営難に陥った。そこで、文芸顧問のジョルジュ・ランブリクス(フランス語版)は、編集方針を変えることなく、新しい傾向の作家を紹介することにし、1947年に哲学者ジョルジュ・バタイユの『鼠の話』、『ディアヌス』、後にルネ・クレマン監督の映画として知られることになるフランソワ・ボワイエ(フランス語版)の原作『禁じられた遊び』、新しい戦争小説で知られるアンリ・カレ(フランス語版)の『アメリカ』、『30から40』、ランボーの影響を強く受けた(後のフェミナ賞受賞作家)アンドレ・ドーテル(フランス語版)の『マザグラン高原』、『ダヴィッド』のほか、米国の小説家アーサー・ミラーの『みんな我が子』の仏語訳、ウェールズの小説家ディラン・トマスの『仔犬のような芸術家の肖像』を刊行。さらに48年にはピエール・クロソウスキーの『ロベルトは今夜』、アンリ・トマ(フランス語版)らの評論『84』、ドイツの哲学者カール・ヤスパースの『責罪論』などを出版したが、いずれも発行部数が限られていたため、経営難を脱することができず、ヴェルコールは社長を辞任。ジェローム・ランドン(フランス語版)が編集長に就任し、発行責任者を兼任した。 その後3年間は、引き続きバタイユの『呪われた部分』、『C神父』、『エポニーヌ』(『エロティシズム』は後の1957年に同じく深夜叢書から刊行)のほか、モーリス・ブランショの『ロートレアモンとサド』、『永遠の繰言』、ジャン・カスーの『近代芸術の状況』、ジャン・フーラスティエ(フランス語版)の『機械化と幸福』、ジャン・ポーランの『どのような批判にもささやかな序文を』などを刊行し、51年にサン=ジェルマン=デ=プレに移転した後、ジャック・イレレ(フランス語版)の『パリ街路歴史事典』、ポーランの『レジスタンス指導者への手紙』、サミュエル・ベケットの『モロイ』といった分野の異なる重要な書物を刊行した。
※この「戦後の経営難」の解説は、「深夜叢書」の解説の一部です。
「戦後の経営難」を含む「深夜叢書」の記事については、「深夜叢書」の概要を参照ください。
- 戦後の経営難のページへのリンク