戦後の第二次工程
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/31 17:47 UTC 版)
1951年 - 活字を彫る職人の不足などから従来形態での刊行は不可能と判断した鈴木は、写真植字機研究所(写研)の石井茂吉に写植原字の作成を依頼。石井は体調を理由に断るが、鈴木は1年以上かけてこれを口説き落とす。また、同時に鈴木は長男・敏夫、次男・啓介、三男・荘夫を会社に呼び戻し、それぞれ編集・印刷・経営などを習得させ、辞典の製作の一翼を担わせた。 1954年10月 - 写真植字による大漢和辞典第一巻の組版を開始。七校、八校まで至った原版が失われ、全て新規に組み直したため、校正作業も膨大なものとなった。
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