戦後の紀州徳川宗家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 15:21 UTC 版)
17代当主 徳川頼韶(頼貞の長子。早世) 18代当主 徳川剛(頼貞の娘婿。日系2世といわれていた青山由太郎の次男。頼貞未亡人為子の養子となり、頼貞長女の宝子(とみこ)と結婚した。宝子は東京・日比谷の三井ビルの地下に「マルキーズ」(侯爵夫人)というレストランを開いたが経営に失敗、剛とは1965年(昭和40年)8月に離別。剛は経営権を売り渡して逃げてしまったといわれる) 19代当主 徳川宜子(現当主) - 養子を得なければ今代で断絶。
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