成熟と対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 18:39 UTC 版)
1950年代後半から1960年代にかけ、ジェノヴェーゼ一家内の権力闘争、コロンボ一家の内紛、ボナンノ引退騒動(バナナ戦争)など、五大ファミリー内外の軋轢や対立が表面化した。水面下の駆け引きが常態化し、傀儡ボスを置くなどファミリー間に支配関係が生じ、ボス・ファミリーは互いに対等という従来の思想は崩れた。ファミリー内部においても、膨張した組織の中で、活動の違いによる様々な派閥を生じ、対立や分裂を引き起こした(「ホワイトカラー犯罪」専門のフランク・コステロと「ブルーカラー犯罪」専門のヴィト・ジェノヴェーゼの対立、国際ビジネスを優先するボス(ボナンノ)と地元の縄張りを優先する幹部(ガスパール・ディグレゴリオ)の対立など)。 数十年の歳月を経てメンバー構成は、移民中心からアメリカ生まれ世代に変わり、出自が重要視されなくなったが、移民時代以来のマフィア社会のヒエラルキー(階層)を反映した出自の問題は根強く残った。コロンボ一家の内紛のように、既得権を持ったシチリア系ボス(プロファチ)に対して既得権を持たないナポリ系部下(ジョーイ・ギャロ)が反乱を起こすなどシチリア系・非シチリア系の対立は時に先鋭化した。 1957年11月、ニューヨークのトップ二大ファミリー(ジェノヴェーゼ、ガンビーノ)のボス交代を発表するために開かれたアパラチン会議が地元警察の手入れにあい、集結した全米各都市のマフィアメンバーが60人以上拘束された。ジェノヴェーゼやガンビーノら五大ファミリーのボス・幹部も大勢捕まった。全米にまたがる巨大なマフィアネットワークの存在が明るみに出た。 1960年代、ガンビーノが勢力を伸張し、コミッションを通じて五大ファミリーを主導した。収入源は、用心棒代、高利貸し、恐喝、賭博から、組合・企業強請、カジノ建設、金融詐欺等まで多岐にわたり、合法投資を行って不正資金を洗浄した(マネーロンダリング)。特に組合を通じた産業界への影響力は史上空前となった。1963年、ジェノヴェーゼ一家のジョゼフ・ヴァラキが沈黙の掟を破って組織の内幕を暴露し、ニューヨークの各ファミリーの具体的な人員構成が公に知られることとなった。1969年のジョゼフ・ボナンノの引退をもって、ルチアーノ再編時のボス5人はすべて入れ替わった。
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