慶野松原 (兵庫県)
慶野松原
名称: | 慶野松原 |
ふりがな: | けいののまつばら |
種別: | 名勝 |
種別2: | |
都道府県: | 兵庫県 |
市区町村: | 南あわじ市松帆 |
管理団体: | 南あわじ市(昭9・5・7) |
指定年月日: | 1928.10.13(昭和3.10.13) |
指定基準: | 名3,名8 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 淡路島の西岸,播麿灘に面する,南北1km,最大幅60mの海浜とその松原。起源は中世と見られるが,文献上の初見は寛文年間(1661~72)である。江戸時代の松原は藩の所有として育成がはかられたが,明治維新に伴って一旦官有林となり,やがて民有林として払い下げられた。第二次世界大戦下では陸軍省の管轄となり,燃料用の新炭材として用いられたほか,食糧増産のために開墾され,江戸時代の規模が大きく損なわれた。 淡路ノ西部松帆浦ニアリ瀬戸内海ニ臨メル一帶ノ松原ニシテ老松枝ヲ交ヘ其ノ景觀虹ノ松原ニ彷彿タリ北方五色浜ニ接シ南方雁來崎ヲ望ミ風光明媚近畿地方ニ於ケル松原トシテ優秀ナルモノナリ |
慶野松原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/26 09:50 UTC 版)

慶野松原(けいのまつばら)は、淡路島の西側、播磨灘に面した兵庫県南あわじ市松帆古津路から松帆慶野にある松原である[1]。国指定の名勝[2]。
概要
三原川河口北側の砂浜、約2.5kmに渡って約5万本のクロマツ林が広がる景勝地である。様々な枝ぶりを見せる松林内には、1997年(平成9年)に地域特産の淡路瓦をふんだんに用いた「プロポーズ街道」の名の散策路が整備されている。また、播磨灘に沈む夕陽や遥か沖合に浮かぶ小豆島の姿が美しい[1]。さらに北には、兵庫県の郷土記念物に指定された5色の小石が美しい五色浜が続いている[3]。
1928年(昭和3年)に国の名勝に指定[2]。1955年(昭和30年)に瀬戸内海国立公園(指定区域)に指定されている。また、日本の白砂青松100選、日本の渚百選、日本の夕陽百選に選ばれている[4]。
古くは柿本人麻呂によってこの地が『万葉集』に詠まれている。国民宿舎慶野松原荘の北側にはこの歌碑が建てられている。
- 「飼飯(けひ)の海の 庭よくあらし刈薦(かりごも)の 乱れ出づ見ゆ 海人(あま)の釣船 」
江戸時代には徳島藩が所有して松林を育成していたが、第二次世界大戦時に食糧増産のために一部が開墾されて、往時の規模は失われている[5]。
慶野松原海水浴場
後背地に松林を抱えた海水浴場は環境省により、2001年(平成13年)に日本の水浴場88選、2006年(平成18年)に快水浴場百選の特選に選ばれている。7月下旬には花火大会が開催される[6]。 松林内にはキャンプ場も設けられている。
脚注
- ^ a b “慶野松原”. 南あわじ市産業振興部商工観光課. 2010年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月28日閲覧。
- ^ a b 慶野松原 - 国指定文化財等データベース(文化庁)2025年5月26日閲覧。
- ^ “新五色浜県民サンビーチ”. 淡路島観光協会 (2010年). 2010年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月29日閲覧。
- ^ “慶野松原が快水浴場百選の特選に!”. 南あわじ市産業振興部商工観光課. 2010年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月29日閲覧。
- ^ “慶野松原”. 文化庁 (2010年). 2007年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月29日閲覧。
- ^ “慶野松原花火大会”. 南あわじ市産業振興部商工観光課. 2010年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月28日閲覧。
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
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