慈善活動と文学界のキャリア
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「ドゥルー・ハインツ」の記事における「慈善活動と文学界のキャリア」の解説
1971年、友人ジェームズ・ラフリン(英語版)から勧められて、出版社エコー・プレス(英語版)を共同で設立した。同社は、1970年に創刊した文芸誌『アンタイオス(英語版)』の刊行を1994年の廃刊まで行っていたほか、多くの絶版書を復刊し、アメリカにおける代表的な詩に関する出版社となった。 ハインツは、1980年にピッツバーグ大学が創設した短編小説のための賞の支援を行った。1995年には100万ドルを寄贈し、この賞はドゥルー・ハインツ文学賞(英語版)と呼ばれるようになった。ピッツバーグ大学出版局は、この賞の受賞作を短編集として出版している。編集者のエド・オチェスターによれば、短編集の出版や賞のプロモーションは、ハインツが寄贈した基金の利子から賄われ、毎年拠出する額は利子の額よりも少ないため、基金の額は増加し続けているという。また、ハインツはイギリスの文学賞であるホーソーンデン賞のための寄付も行っている。 ハインツは文芸誌『パリ・レビュー(英語版)』を創刊したジョージ・プリンプトン(英語版)の親友であり、1953年の同誌の創刊を支援し、長年に渡り資金を援助した。1993年から2007年まではその発行人を務めた。1999年に同誌のアーカイブがモルガン・ライブラリーに売却されたが、その購入金額の85万ドルはハインツが負担した。 1970年、ピッツバーグにある閉鎖された映画館を購入し、修復してハインツ・ホール(英語版)として開場させた。この劇場は、後にピッツバーグの文教地区(英語版)の中核施設となった。1990年、ハインツがカーネギー研究所に寄贈した1千万ドルにより、カーネギー美術館(英語版)に併設してハインツ建築センターが設立された。ハインツは、ロンドンのテート・ギャラリーや王立英国建築家協会にも支援を行っている。『リンカーン・センター・シアター・レビュー』の発行は、ハインツが運営する財団からの支援により行われている。 ハインツは、ロイヤルオーク財団(英語版)の名誉会長を務め、ドゥルー・ハインツ・レクチャーに資金を提供した。2002年、オックスフォード大学のセント・ジョンズ・カレッジとロサーミア・アメリカ研究所(英語版)が共同で設立した講座に、ハインツの寄付によりドゥルー・ハインツ・アメリカ文学教授職が設置された。ハインツは、ピッツバーグの芸術団体、ピッツバーグ・アート&レクチャーや国立デザイン博物館が主催するイベントの後援をした。また、メトロポリタン美術館、カーネギー美術館、マクダウェルコロニー(英語版)、モルガン・ライブラリー、ローマ・アメリカン・アカデミー(英語版)の理事や、ニューヨーク近代美術館の国際評議会の委員を務めた。1973年にハワード・ハインツ財団(現 ハインツ財団(英語版))の理事、1994年に名誉理事に就任した。 ドゥルー・ハインツが保有する財産の総額は、財産を管理するドゥルー・ハインツ信託財団の2015年の納税申告によると3600万ドルである。
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