慈善活動と政治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/25 23:17 UTC 版)
「エドワード・コルストン」の記事における「慈善活動と政治」の解説
コルストンはブリストル、ロンドン、その他の場所で学校、慈善施設、病院、教会を支援し、寄付を行った。コルストンは、彼の宗教的・政治的見解を共有していない人々への利益にならないよう、自身の慈善事業を構成した。彼の慈善財団の多くは今日まで存続している。 ブリストルでは、キング・ストリートの救貧院とセント・マイケルズ・ヒルのコルストンズ・アルムスハウス(英語版)を設立し、クイーン・エリザベス・ホスピタル(英語版)の学校に寄付し、1710年、寄宿学校コルストンズ・ホスピタル(英語版)の設立を支援した。彼は学校の維持のためにマーチャント・ヴェンチュラー協会が管理する基金を残した。彼はテンプル・スクール(そのうちの1校はセント・メアリー・レッドクリフ・アンド・テンプル・スクール(英語版)となった)やブリストルの他の地域の学校、いくつかの教会や大聖堂に資金を提供した。トーリー党の熱心な支持者であり、1710年イギリス総選挙ではブリストル選挙区(英語版)におけるトーリー党有力候補として挙げられた。コルストンは老齢(1710年時点で74歳だった)を理由に立候補を辞退したが、熱心な市民がコルストンの同意なしに彼を立候補させ、当選を果たした。しかし、老齢だったため議会ではほとんど活躍できず、ブリストルを代表して請願を庶民院に提出することが主な活動だった。1713年イギリス総選挙では出馬せず、議員を退任した。 1808年にデビッド・ヒューソン(英語版)は、コルストンを「ブリストル市の偉大な恩人であり、彼が生きている間に慈善団体に7万ポンド以上を費やした」と評している。 275年にわたってコルストンを記念した慈善団体を運営していたコルストン協会は、2020年に解散を決定した。
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