愛知県知事選挙に立候補
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1998年(平成10年)3月3日、水田洋と影山が代表を務める市民グループ「海上の森の『愛知万博』の賛否を問う県民投票を求める会」は鈴木礼治知事に対し、県民投票条例の制定を求める直接請求を行った。提出した署名簿は12万8千余人で、請求に必要な数(10万6千余人)を確保した。県民投票条例案は同年3月23日に開かれた愛知県議会本会議で圧倒的多数で否決された。 同年9月26日、任期満了に伴う愛知県知事選挙に立候補する意向を表明。1999年(平成11年)2月7日に行われた知事選挙には、前一宮市長の神田真秋が自民党・民主党・公明党・自由党の推薦と社民党の支持を得て立候補。神田の圧勝と思われたが、影山は796,361票、得票率36.01%を獲得し、善戦した。 2000年(平成12年)5月、中根鎭夫市政に批判的な市民らとともに、岡崎市長選候補者擁立のための団体「市民に開かれたあたたかい岡崎市政を、みんなでつくる会(略称:あったか岡崎市政の会)」を設立した。同年9月10日、岡崎市長選挙執行。中根は前県議の柴田紘一に敗れ落選。「あったか岡崎市政の会」が擁立した元高校教諭の新人も順位4位で落選した。 2003年(平成15年)12月、「国に対し自衛隊イラク派遣に反対する意見書を提出するよう、市に求める」請願を岡崎市議会に提出したが、採択されなかった。 2016年(平成28年)6月16日、死去。85歳没。
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