愛知県立中村病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 02:56 UTC 版)
中村遊郭北西部、中村区道下町にあった病院。木造2階建て。この病院は1900年(明治33年)10月娼妓取締規則制定実施に伴い、大須旭郭付近に公衆衛生上、娼妓の検黴(けんばい)執行のため、愛知県立名古屋駆黴院(くばいいん)として設立されたものを起源とする。その後、名古屋診療所と改称、以来もっぱら娼妓の検診治療を行なってきた。旭廓の中村移転後、この病院も1925年(大正14年)に中村遊廓近傍に移転し、名称も県立中村病院と改称した。1948年(昭和23年)9月に性病予防法が実施されて、この病院の使命も一段と飛躍し、昭和25年から一般県民にも開放された。中村病院の機構は、昭和28年当時、婦人科・皮膚泌尿器科・内科・理学療法科となっていた。名楽園時代、毎週金曜日が検診の日だったという。 その後この建物は、愛知県立高等看護学院として転用されたが、現在は取り壊されてしまった。当時を偲ぶものは門柱と塀のみである。一旦更地となってしまったが、土地の一部は名古屋第一赤十字病院の施設として利用されている。
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