愛知県知多半島3基
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 09:47 UTC 版)
多景島より後に建てられた御柱は、大々的に資金を集めるのでなく、地元の青年団などからの寄付で建てられたものが多かった。愛知県に建てられた3基は現在の半田市に相当する地域に集中していた。当地域は、1890年の陸海軍聯合大演習の際に明治天皇がここで統監したという由緒があり、地域のアイデンティティーとして明治の精神に立ち帰ろうという機運が生じていた。大日本弥栄会は当地域に支部(知多弥栄会)を組織した。1928年に半田町外成岩運動山で、1929年に知多高等女学校で、1930年亀崎町で、各1基の誓の御柱を建立した。これらは地元の成岩男女青年団や高等女学校の要請により大日本弥栄会が建設したものであった。このうち知多高等女学校の御柱は昭和天皇の即位の礼を記念して建立された。除幕式では大日本弥栄会会長の二荒芳徳伯爵が訓辞を垂れた。このほか亀崎町は明治天皇が大演習を観戦した乙川野立所のあるところで、明治天皇統監40周年を記念して1930年11月に誓の御柱を建てた。 戦後、当地の御柱3基のうち成岩運動山のもののみ老朽化のため撤去された。知多高等女学校は1938年に半田高等女学校へ改称し、1948年に半田高等学校と統合した。御柱は半田高等学校の柊陵会館庭園の最南東に移設・現存している。また、乙川野立所の周辺は1969年に乙川白山公園として整備された。2015年11月、乙川白山公園聖跡保存会という団体が誓の御柱の前に説明板を建てた。この説明板によると「明治天皇御統監四十周年記念碑」が正式名称で、「誓いの御柱」は通称なのだという。「明治天皇御統監四十周年記念」の石碑は誓の御柱の脇にある。
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