形而上学:客観的現実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:07 UTC 版)
「オブジェクティビズム」の記事における「形而上学:客観的現実」の解説
ランドの哲学は実存(existence)、意識(consciousness)、および個体性(identity)の3つの公理(axiom)に始まる。ランドは公理を次のように定義した。 公理とは、知識(knowledge)およびその知識から展開されるあらゆる立言(statement)の、基盤(base)を同定(identify)する立言である。あるいは、特定の論者が同定するか否かに関わらず、他のあらゆる立言に必然的に含まれる立言である。公理は、その公理の否認を試みると、必ずその公理を受け入れて使わざるを得なくなるという事実によって、その公理に反対する者を打ち負かすような立言である。 レナード・ピーコフは、公理に関するランドの主張は、「実存、意識、および個体性の3つの公理が真であることの証明ではなく、この3つが公理であることの証明である。すなわち、実存、意識、および個体性が知識の基盤であり、従って不可避であることの証明である」と論じている。 ランドは、実存は他のあらゆる知識の土台になる知覚的に自明な事実である--すわなち「実存は実存する(existence exists)」--と考えた。さらにランドは、「存在する」とは「何ものかである」ことである--すなわち「実存は個体性である(existence is identity)」--と考えた。言い換えれば、存在するということは、「特定の諸属性から成る特定の性質を持つ実在物(an entity of a specific nature made of specific attributes)」であるということである。「いかなる性質も属性も持たないもの」は存在しないし、存在し得ない。実存の公理が「あるもの(something)」と「無(nothing)」の区別において把握されるのに対し、個体性の公理は「特定の何か(one)」と「別の何か(another)」の区別において把握される。言い換えれば、個体性の公理は、他のあらゆる知識のもう一つの重要な土台である無矛盾律(the law of non-contradiction)に気づくことによって把握される。ランドは、「一枚の葉が同時に赤でありかつ緑であることはできない。また、同時に凍りかつ燃えることもできない。AはAなのだ(A leaf ... cannot be all red and green at the same time, it cannot freeze and burn at the same time... A is A)」と述べた。オブジェクティビズムにおいては、実存を超越する(と主張される)存在への信仰は拒否される。 ランドは、意識は「存在するものを知覚する機能(the faculty of perceiving that which exists)」であると主張した。「『意識がある』ということは『何かを意識している』ということである」とランドが述べたように、意識それ自体を、(意識の対象となっている)独立した現実から区別したり、独立した現実との関係を除外して把握したりすることはできない。「意識は意識自身のみを意識できない-何かを意識するまで『意識自身』は存在しない」のである。したがってオブジェクティビズムでは、精神は現実を創造しないと考える。オブジェクティビズムでは、精神は現実を発見する手段であると考える。言い換えれば、実存は意識に優越するのであり、意識は実存に従わなければならない。これ以外のアプローチを、ランドは「意識の優越(the primacy of consciousness)」と呼んだ。形而上学的な主観主義(subjectivism)や有神論(theism)、およびこれらの変種は、すべて「意識の優越」に含まれる。 オブジェクティビズムにおいては、行動・動作(action)と因果関係(causation)の説明は、個体性の公理から導かれる。オブジェクティビズムにおいては、因果関係は「個体性の法則の行動・動作への適用(the law of identity applied to action)」であるとされる。ランドによれば、行動・動作するのは実体(entity)であり、あらゆる行動・動作は、ある特定の実体の行動・動作である。諸々の実体の行動・動作のしかたを決めるのは、それぞれの実体が持つ性質(すなわち「個体性」)である。実体が異なれば実体の行動・動作も異なる。因果関係の暗黙的な理解は、他の公理と同様、言語的に明示される前から、実体間の因果的なつながりの直接的な観察から引き出され、知識を発展させていくための土台として役立っている。
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