形態の差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 04:11 UTC 版)
「東京都交通局6000形電車 (軌道)」の記事における「形態の差異」の解説
290両が製造された大所帯だけあり、製造年度や製造メーカーによって様々な差異が見られた。 1947年(昭和22年)度の初期生産車は、被災した3000形の復旧名義で製造され、台車は種車である旧3000形で使用されていた組立台車枠のD-10型台車(写真)が使用され、車体外板が1.6mm鋼板であることから製造メーカーによっては車体の歪みが目立つ個体もあり、新日国製の6001 - 6005については内装の一部にジュラルミンが貼られていたことから、出現当時には「ジュラルミン電車」と言われていた。前面の救命設備はストライカーとロックフェンダーを設置。1948年(昭和23年)春から簡易排障器の採用となったため後に交換された。その後、1949年 (昭和24年) 度製造から外板が2.3mmに増加し、6174号までは新造されたD-10型台車が使用された。 また、初期生産車は当初集電装置にトロリーポールを使用していたが、後年になってビューゲルに換装されている。この際、車両によってビューゲルの取付位置が異なっていた。 1950年(昭和25年)度と1951年(昭和26年)度に製造された6175 - 6241号からは、上記のD-10型を元に開発された鋳鋼台車枠のD-16型台車が新たに採用された。 そして、1952年(昭和27年)度に製造された最終増備車の6242 - 6290号からは、D-16型の改良型で、枕ばねを従来の板ばねから油圧ダンパー付きのコイルばねに変更したD-17型が採用された。この最終増備車は外観的にも特徴があり、側窓が拡幅され、従来車が側窓10枚であったのに対し、9枚に変更されている。 これらの車両のうち、初期に生産されたものに関しては1960年代に更新工事が施工された。その際、一部の車両は1500形や3000形と同様に、『羽深式』と称される前面方向幕の拡幅改造が施されている。また、順次ドアエンジンの搭載や各部窓枠のアルミサッシ化などの改造が行われていた。 1952年に全車出揃った時点で、6000形が無配置であった三ノ輪・駒込・錦糸堀・柳島にも1〜4両が配置され、目黒・広尾・大塚・早稲田・荒川を除く他の営業所に配置されたことから、その大量の車両数と共に東京を代表する路面電車となった。
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