当用漢字再検討の動き
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1951年(昭和26年)、当用漢字以外で人名に使用することのできる漢字として、人名用漢字別表で92字が示された。1976年(昭和51年)には人名用漢字追加表により28字が加えられた。 1954年(昭和29年)3月、国語審議会は「将来当用漢字表の補正を決定するさいの基本的な資料」として「当用漢字表審議報告」をまとめた。新聞界の要望を基に、28字を入れ替えるなどの内容であった。文芸界や教育界・法曹界の反対により正式な答申や内閣告示には至らず、公用文や教科書などの漢字使用には影響しなかった。新聞界は「当用漢字表補正案」と呼び、運用を通じて当用漢字表見直しの検討材料にするとして、同年4月から全面的に採用し漢字使用のよりどころとした(当用漢字時代における新聞の漢字使用の方針については新聞常用漢字表#当用漢字時代を参照)。 1970年(昭和45年)、公害病・水俣病救済運動で当用漢字表にない「怨」という漢字を白く染め抜いた黒い幟旗が現れ、マスコミもこれを報じた。円満字二郎によれば、「朝日新聞戦後見出しデータベース」に収録された見出しの使用例は当用漢字実施から水俣病の社会問題化までの間の2例のみだが、これ以降「怨」の字がマスコミでも頻繁に用いられるようになった。次第に固有名詞以外でも当用漢字に縛られない漢字使用が広がりを見せた。 1966年(昭和41年)の中村梅吉文相発言(詳細は国語審議会#方針転換参照)により、漢字全廃ではなく「漢字仮名交じり文が前提」として、まず音訓が大幅に改定される。 1973年(昭和48年)に当用漢字改定音訓表が内閣により告示された。これは既存の音訓表に357の音訓を追加し、新たに当て字や熟字訓のうち日常生活で高頻度に使用される106語を「付表」としてまとめたものである。この時点でそれまでの制限的な色合いが大幅に緩和された。 1981年(昭和56年)、当用漢字を基にしつつ緩やかな「目安」である常用漢字表が内閣から告示され、当用漢字表は廃止された。
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