平井 (三木市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/06 06:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動平井 | |
---|---|
![]() 竹中重治の墓 | |
国 |
![]() |
都道府県 |
![]() |
市町村 |
![]() |
地区 | 久留美地区 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
673-0421 |
平井(ひらい)は、兵庫県三木市にある大字。郵便番号は673-0421。
地理
- 美嚢川中流左岸と志染川の下流に挟まれた山間部に位置し、三木平井山観光ぶどう園を中心に田畑が広がる農業地帯である。三木合戦の時に三万人の兵士を駐在させた場所であり、竹中重治の墓・羽柴秀吉によって焼かれた長福寺跡などの戦国時代の遺構がある。由来は高地性集落地のことを「平居」と付け、後に「平井」と名称が変更されたことから現在の地内となり、古くから呼ばれているが、「牧野」から転じたとも言われている。播磨国風土記によらば、「牧野の里」の比定地と呼ばれている。[1][2][3][4][5]東側は細川町細川中・西側は久留美・南側は与呂木、志染町安福田・北側は細川町西と接する。
歴史
- 1951年3月15日 - 三木町に編入され、三木町大字平井になる。
- 1954年6月1日 - 三木市を新設し、三木市平井になる。
- 2006年 - 功名が辻が放映され、当地がロケ地となり、観光客が大勢訪れた。
字域の変遷
実施前 | 実施年 | 実施後 |
---|---|---|
美嚢郡久留美村大字平井 | 1951年3月15日 | 美嚢郡三木町大字平井 |
美嚢郡三木町大字平井 | 1954年6月1日 | 三木市平井 |
施設
戦国時代の遺構がある。[5]
小・中学校の学区
大字[6] | 番地[6] | 小学校[6] | 中学校[6] |
---|---|---|---|
平井 | 全域 | 三木市立三木小学校 | 三木市立三木中学校 |
交通
鉄道
地内には鉄道は走っていない。
バス
道路
- 山陽自動車道(通過のみ)
- 兵庫県道513号三木環状線
参考文献
- 『久留美村誌』小野高速印刷株式会社、進藤輝司、2011年3月15日、初版第1刷。
- 『地名でたどる小さな歴史Ⅱ』橘川真一、神戸新聞総合出版センター、2008年7月30日、第一冊発行。ISBN 978-4-343-004758。
- 『三木の地名録』播中社印刷所、福本錦嶺、2003年1月1日、初版第1刷。
脚注
|
「平井 (三木市)」の例文・使い方・用例・文例
- 平井教授の健康を祝して乾杯いたしましょう.
- 平井さんはうちの会社では古参の方です.
- 平井堅さんは大ヒットした童謡,「大きな古時計」で2回目の出場だ。
- 歌手の平井堅(けん)さんは,少年時代のお気に入りの曲,「大きな古時計」を歌い,80万枚以上のCDが売れた。
- 平井堅(けん)さんが伊(い)勢(せ)志(し)摩(ま)サミットの公認サポーターに任命される
- シンガーソングライターの平井堅(けん)さんがG7伊(い)勢(せ)志(し)摩(ま)サミット2016の公認サポーターに任命された。
- 平井さんはサミットをテーマにした歌を制作する。
- 2月19日に東京都内で行われた任命式で,三重県の鈴木英(えい)敬(けい)知事は「平井さんにはサミットを盛り上げてくれるような,記憶に残る歌を作ってほしいと思っています。」と述べた。
- 平井さんは三重県で育った。
- 同知事は平井さんにサミットの応援を依頼したもう1つの理由を説明した。
- 「私が平井さんのファンだからです。」と,彼は話した。
- 「伊勢志摩が注目されるのはうれしいです。」と,平井さんは述べた。
- 彼はまた,北島選手が中学2年生だったころから彼の水泳コーチである平井伯(のり)昌(まさ)さんへの感謝の気持ちを表した。
- 平井_(三木市)のページへのリンク