帝国館(1921-1945)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/30 08:11 UTC 版)
「帝国館 (豊橋市)」の記事における「帝国館(1921-1945)」の解説
帝国館の前身は、1893年(明治26年)に上伝馬町に設立された演劇場の弥生座である。1901年(明治34年)10月には同じく上伝馬町の朝日座で、豊橋初とされる活動写真の上映が行われた。明治時代の上伝馬町には弥生座(演劇/演芸)のほかに、朝日座と河原座(演芸)があった。 1921年(大正10年)には弥生座が映画館に転換して帝国館となった。建物は木造2階建の洋館であり、内部は天井が高く、極彩色のエジプト風絵画が飾られていた。帝国館は日活の直営だったが、昭和初期にはアメリカ映画も上映した。モギリ嬢はエプロンを羽織っており、二階席への上り口には法被を着た下足番がいた。二階席の前方には青い絨毯が敷かれており、後方は背もたれ付きの長椅子が雛壇となっていた。一階席は7-8人掛けの長椅子が並んでおり、中央の通路を挟んで左側が紳士席、右側が婦人席、中央が同伴席となっていた。大正末期の時点では、豊橋市内の映画館は当館のほか、豊明館、オペラ館、大盛館、錦正館、有楽館の5館が存在した。 1945年(昭和20年)6月19日深夜から20日未明、太平洋戦争時の豊橋空襲で焼失した。この空襲では帝国館のほかに、錦館、キネマパワー、花田館、豊橋東宝映画劇場も焼失しており、一時的に豊橋から映画館が消えている。
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