市原市立東海小学校
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市原市立東海小学校(いちはらしりつ とうかいしょうがっこう)は、千葉県市原市廿五里にある公立小学校[1]。文部科学省の学校コードはB112210004422、旧学校調査番号は121060[2]。
注釈
出典
- ^ “東海小学校基本情報”. 市原市. 2023年2月23日閲覧。
- ^ “市原市立東海小学校の学校コード | 文部科学省 学校コードに基づく学校コード検索”. “学校コード検索". 2023年1月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u “東海小学校沿革”. 市原市ホームページ. 2020年10月10日閲覧。
- ^ “令和4年度市原市教育要覧”. 市原市. 2023年2月3日閲覧。
- ^ “東海小学校ホームページ”. 市原市ホームページ. 2023年2月23日閲覧。
- ^ a b “市原市公共施設カルテ学校教育施設”. 市原市. 2022年8月25日閲覧。
- ^ “市原市学校耐震化表”. 市原市. 2023年1月1日閲覧。
- ^ “市原市資料13”. 市原市. 2022年10月11日閲覧。
- ^ 防災アセスメント調査及び防災地区別カルテ作成業務『市原市地区防災カルテ』市原市、2009年3月1日。
- 1 市原市立東海小学校とは
- 2 市原市立東海小学校の概要
- 3 校則
- 4 施設
- 5 年間行事
市原市立東海小学校
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「市原市の小学校一覧」の記事における「市原市立東海小学校」の解説
1873年(明治6年)、寺を母体として廿五里小学校(東泉寺)、飯沼小学校(龍昌寺)、島野小学校(三光院)の3小学校が創設される。 1889年(明治22年)、前述の3校のうち廿五里小と飯沼小が統合、東海尋常小学校および同校海保分校となる。1897年(明治30年)に「東海尋常高等小学校」に改称、海保字松葉112番地に移転。翌々1899年(明治32年)には飯沼尋常小学校と島野尋常小学校が統合され、再度「東海尋常小学校」に名称を戻す。 1925年(大正14年)には東海村立東海尋常小学校に改称、現所在地に移転。 戦後の1947年(昭和22年)に東海村立東海小学校、1954年(昭和29年)、五井町の合併に伴い五井町立東海小学校、1963年(昭和38年)、本校南分校を廃止し本校に統合、市原市立東海小学校となり現在に至る。 校歌は伊藤公平作詞、寺内昭作曲。 通学区域 飯沼、野毛、町田、海保、廿五里の一部、島野の一部、今富の一部
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