岩倉の帰国による巻き返しとは? わかりやすく解説

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岩倉の帰国による巻き返し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 08:03 UTC 版)

明治六年政変」の記事における「岩倉の帰国による巻き返し」の解説

9月13日岩倉帰国し三条とともに木戸大久保復帰向けて運動を開始した。岩倉帰国早々専ら国政整え民力を厚すべき」という質問書を各参議送っており、内治優先考え持っていた。また西郷遣使についても即時行われることではないと主張している。しかし木戸9月16日から病気となり、参議復帰拒んだ木戸伊藤博文とともに新任参議罷免求め大隈もこれに賛同したが、三条岩倉はこれは困難であると見ていた。 朝鮮問題討議は、木戸大久保復帰問題片付いてからということになり、岩倉復帰後も討議行われなかった。西郷事態進展しないことに苛立ち自殺ほのめかして三条圧力をかけている。三条海軍大輔勝安芳軍備整っていないという意見をあげ、岩倉とともに遣使の延期方針合意した伊藤奔走により大久保10月12日参議復帰したものの、木戸閣議への復帰応じなかった。大久保厳し財政状況の中で戦端を開くのは困難であり、まずは国力充実させるべきと考えており、維新前からの盟友である西郷対決する意志固め子供たち当てた遺書残している。同日征韓派の副島種臣参議復帰している。10月14日岩倉閣議の席で遣使の延期主張した板垣江藤後藤副島らは遣使の延期については同意していたものの、西郷即時派遣主張したこのため15日閣議では、板垣江藤後藤副島らは西郷支持し即時遣使を要求した決定太政大臣三条右大臣岩倉一任されたが、三条はここで西郷派遣自体認め決定行った。しかし期日詳細依然として定まっておらず、単に8月17日決定再確認したもののにとどまった三条は自ら軍事握ることで、「軍備整っていない」ことを口実にし、西郷派遣遅らせる考え持っていたが、これを「変説」と受け取った岩倉大久保木戸反発した明治6年政変時における征韓西郷隆盛参議陸軍大将江藤新平参議司法卿板垣退助参議後藤象二郎参議左院議長副島種臣参議外務卿征韓派を除く正院構成員 三条実美太政大臣岩倉具視右大臣木戸孝允参議大久保利通参議大蔵卿大隈重信参議大木喬任参議文部卿

※この「岩倉の帰国による巻き返し」の解説は、「明治六年政変」の解説の一部です。
「岩倉の帰国による巻き返し」を含む「明治六年政変」の記事については、「明治六年政変」の概要を参照ください。

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