岡崎次郎とは? わかりやすく解説

岡崎次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/14 01:54 UTC 版)

岡崎 次郎(おかざき じろう、男性、1904年(明治37年)6月29日 - 1984年(昭和59年)?)は、日本のマルクス経済学者、翻訳家マルクスの大著『資本論』の翻訳で知られる。


注釈

  1. ^ 週刊朝日』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。ただし、丸括弧内の年齢は記事が発表された当時のものであり、漢数字から算用数字に改めた。

     河出書房などで編集者をして、岡崎さんとの親交が深い本吉久夫もとよしひさおさん(76)は、これより少し前、自宅を訪ねた。本吉さんが出版をすすめた『マルクスに凭れて六十年』が青土社から出たばかりで、岡崎さんは、「おかげでいい本ができたよ」と礼を言い、本の裏表紙にこう記した。
    「おだてて、こんな本を作らせた本吉久夫さんに、いま、ただありがとう」
     それを本吉さんに手渡す前に奥さんに見せた。すると、奥さんの目にみるみる涙があふれてきたという。
     本吉さんが言う。
    「子どものいない二人の間では、『この本ができたら、二人でこの世から身を隠そう』とおそらく決めていたんでしょう。奥さんは、ついにその時がきた、と胸に迫ったんですね。岡崎さんは六十歳になったころから、『人生は自分で結末をつける。だけど、まだ女房の承諾がとれないんだ』と冗談半分、まじめ半分に言っていました」[1]

  2. ^ 週刊朝日』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。ただし、丸括弧内の年齢は記事が発表された当時のものであり、漢数字から算用数字に改めた。

     旅に出る直前、東京・本郷にある自宅マンション(賃貸で2LDK)に、親類や親しい学者仲間を呼んで、それとなく「最後の別れ」を告げている。
    「これから西のほうへ行く」
     と言うのを、渡辺寛わたなべひろし東北大経済学部教授(62)は聞いた。同年五月十九日のことだ。
     法政大の教員時代から「尊敬の念をもって接してきた」という渡辺さんは、岡崎さんがそれ以前にも「死出の旅立ち」を何度か口にするのを聞き、思いとどまるように説得していた。このときも、
    「西のほうとは、西方浄土とひっかけてるんだな」
     と思ったという。
     家財道具もあらかた処分されガランとした部屋で、帰りぎわに岡崎さんは、
    「君、これ、持ってけよ。こういうのもいいんだよ」
     といって、少しほこりをかぶったカセットを二つ、渡辺さんに手渡した。倍賞千恵子ばいしょうちえこちあきなおみの歌だった。苦笑しながら受け取り、
    「これでお別れですね」
     と言うと、「うん」と一つうなずいた[1]

  3. ^ 週刊朝日』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。ただし、丸括弧内の年齢は記事が発表された当時のものであり、漢数字から算用数字に改めた。

     さて、本郷のマンションを引き払った岡崎夫妻は、西に旅立つ最後の日の六月五日夕、品川高輪プリンスホテルで、長姉の後藤雪江ごとうゆきえさん(二年前に九十二歳で死去)、その息子で第一勧銀信用開発相談役の後藤かんさん(69)、その娘の祐子ゆうこさん(31)と五人で中華料理の会食をした。
    「旅行中の連絡先は寛のところにしておいたので、よろしく頼む」
     と岡崎さんは言い、あとはとりとめのない昔話がつづいた。話の合間に、やはり「西のほうへ行くよ」と言ったのを、寛さんははっきりと覚えている。クニさんの足が相当弱っていたことから、タクシーでの旅になるだろう、ということも聞いた。
     祐子さんが振りかえる。
    「食事の後、ロビーでお茶を飲んだんですが、父と次郎さんが話し込んで、祖母とおクニさんがしんみりしていました。お茶の後、玄関先で、おばあさん同士が手を取り合ってお別れしていたのを、よく覚えています」
     ホテルに泊まる岡崎夫妻に見送られて、後藤さんたち三人は自宅にもどった。雪江さんは、息子と孫娘に、
    「次郎が自分で決めて姿を消すというのだから、本人の気のすむようにしてやることがいちばんじゃないだろうか」
     と言ったという[2]

  4. ^ a b 評論家呉智英呉 (2003, p. 113)で以下のように解説している。

    翌年八十歳になるのを目前に『マルクスに凭れて六十年』を岡崎次郎は書いた。遺書のつもりである。
     後に岡崎次郎の「死出の旅路」を記事にした『週刊朝日』(一九九四年六月十七日号)によれば、本ができ上がった時、岡崎にこれを見せられた妻の目に涙があふれてきたという。妻はそこにこう書かれていたのを知っていたわけではない。
    「いま私にとって問題なのは、いかに生きるかではなく、いかにしてうまく死ぬかである」「せめて最後の始末だけでも自主的につけたいものだ」
     この文章を読んでいなくても、妻は岡崎次郎の気持を察知し、万感の思いが込み上げてきたのだ。本が出た後、岡崎は友人知人にこれを配り、さりげなく別れの会を持って言った。「これから西の方へ行く」。
     家財を整理し、東京本郷のマンションを引き払った岡崎夫妻は、文字通り西の方へ旅立った。
    『週刊朝日』の記事によれば、まず品川のホテルに泊まり、次いで伊豆の温泉に行き、浜松を経て関西に入った。その後、岡山広島など中国を何ヶ所か回ったらしい。東京を旅立って四ヶ月後、大阪のホテルに宿泊したことは記録からわかる。その後、岡崎夫妻の行方は、現在もなお不明である[3]

  5. ^ 週刊朝日』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。

     こうして、六月六日から、タクシーを使った老夫妻の「西への旅」が始まった。
     家財道具いっさいを処分した夫妻に残された財産は、三和銀行に預けた約四百万円の預金だけだった。旅先で預金を引き落とすと同時に、ホテルなどに泊まるときは、JCBカードを使うこともあり、三和銀行から引き落とされる明細が、連絡先とされた後藤寛さん宅に届いた。
     その引き落としの明細は残っていないが、後藤さんの記憶によれば、宿泊先は一流ホテルが多く、同じホテルに二、三日ほど泊まって次の場所に移る、という形だった[4]

  6. ^ 週刊朝日』(1994年6月17日号)の記事には以下のように解説されている。

     こうした岡崎さんの「旅立ち」の動機について、本吉さんが語る。
    「岡崎さんは、上原専禄うえはらせんろくさんや対馬忠行つしまただゆきさんのことを何度か話してました。特に対馬さんには『先を越されちゃったよ』って冗談ともつかない口調でいっていました」
     上原専禄さんは一橋大の元学長。六〇年安保闘争では文化人グループの中心の一人として活躍したが、晩年、「亡くなった妻の回向えこうをするために旅立つ」とごく親しい人だけに言い残して消息を絶った。京都で四年余り隠遁した果てに、ひっそりと死んだ。
     対馬忠行さんは、岡崎さんとも親交があった。やはりマルクス学者でトロツキー研究家だったが、瀬戸内航路の旅客船から身を投げた。東京の老人ホームを出たまま行方がわからず、白骨死体が、ほぼ四ヵ月後に神戸港沖で見つかった。
     東北大教授の渡辺寛さんも、岡崎さんが、
    「対馬さんのように死体が見つかってはいかんのだ」
     と言うのを聞いたことがあるという。
     岡崎さんのJCBカード引き落としの最後は、八四年九月三十日、大阪のホリディイン南海だった。「失踪」してから、ほぼ四ヵ月後だった[5]

  7. ^ 当初は共訳として持ちかけられた[6]
  8. ^ 本文中にいう『剰余価値学説史』新全集版(新訳)は『マルクス資本論草稿集』5ー8(大月書店、1980‐1984年)として刊行された[8]

出典

  1. ^ a b 群司 1994, p. 27.
  2. ^ 群司 1994, p. 28.
  3. ^ 呉 2003, p. 113.
  4. ^ 群司 1994, pp. 28–29.
  5. ^ 群司 1994, p. 29.
  6. ^ 岡崎 1983, pp. 186–188.
  7. ^ 岡崎 1983, pp. 186–196.
  8. ^ 『マルクスに凭れて六十年――自嘲生涯記』増補改訂新版”. 航思社. 2023年4月10日閲覧。


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