審査~不採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/20 02:27 UTC 版)
完成した機体は楕円テーパー翼を持ったスリムな双発機で、胴体下部に20mm機関砲を1門、機首に7.7mm固定機銃を2丁、後部席に7.7mm旋回銃を1丁装備しており、当時の日本製の戦闘機としては重武装だった。主脚は手動引き込み式で、引き込み時には車輪の一部がナセル外に露出していた。試作機が3機完成後社内テストを行ったが、その結果は、エンジンの不調、脚引き込み装置の作動不良、ナセル・ストールの発生による安定性不良など散々なものだった。改修を重ね1939年11月には陸軍による審査が行われたが、その時もエンジンのパワー不足から最高速度は軍の要求値よりも60 km/h下回り、エンジン不良、脚の動作不良等実用面に問題があった上、これは、ある意味で当たり前ではあるが単座戦闘機である九五式戦闘機、九七式戦闘機との模擬空中戦でも惨敗を喫し、軍からは「複座戦闘機として失格」と判定されてしまった。 しかし、川崎では本機に対する改良策を継続していた。試作1~3号機については、カウルフラップやプロペラスピナーを追加し、イボ付カウリングやダクテッドスピナーの装着も試験された。また、試作3号機からは、脚の引き込みが電動式となった。その後、増加試作機を3機製作した後、1940年(昭和15年)4月に、本機の性能向上第1案として、エンジンをハ25に換装することになり試作第7号機から実施されることになった。この後試作機は11号機まで作られた他、試作4~6号機もエンジンをハ25に換装した。また、エンジン換装によってナセルを再設計して、車輪をナセル内に完全に引き込むようになっていた。エンジンの換装の効果もあって、最高速度は40 km/h向上した。しかし、ナセル・ストールに相変わらず悩まされ、陸軍はこれ以上の本機の性能向上は無理と判断し、1940年10月にキ45の不採用を決定した。 もっとも、陸軍では双発複座戦闘機の開発を諦めた訳ではなく、本機の不採用と同時にキ45性能向上第2案型の開発を命じた。既に川崎では、土井武夫技師を主務者としてキ45の再設計に着手しており、この機体がキ45改(後の二式複座戦闘機)となった。
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