中島機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/09 18:53 UTC 版)
中島は吉田孝雄技師を設計主務者として開発を行い、2機が製造されて1933年(昭和8年)から海軍による審査を開始した。しかし、審査の結果性能が要求されたものに達さず、不採用となった。機体は胴体は鋼管製、主翼は木製の骨組みに羽布張りの複葉機で、エンジンは三菱機とは対照的に軽量の自社製「寿三型」を選択していた。
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