富野由悠季の考え
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:10 UTC 版)
テレビアニメ版『機動戦士ガンダム』では終盤の第38話で唐突に登場する「ニュータイプ」という単語だが、富野は『機動戦士ガンダム』企画書の段階で既に作中での「エスパー」(ニュータイプ)の登場を想定し、「人類の革新」を作品のテーマとすることを構想していた。一方でエスパー(超能力者)という概念は『機動戦士ガンダム』企画当時には既に、使い古され手垢にまみれた表現であった。富野はその概念を「エスパーという特異なもの」にすることを避けつつも、定義を曖昧にしたまま「人類の革新」という大義を想起させるような「ニュータイプ」という単語を当てはめることにした。富野が語るところによれば、終盤までその単語が登場しなかったのは、「ニュータイプ」という単語を思いつくまでに時間がかかったためであるとされる。 富野自身はニュータイプを「エスパー、超能力者と同じ程度の扱いか、それよりやや高い扱い」と意味づけていた。放送直後の当時の富野が語ったところによれば、その概念は「人間同士の思惟が直結することによりコミュニケーション(意思伝達)に誤解が生じなくなり、誤解なく通じ合った意思や考え方が重なり合うことにより相乗効果の増幅が得られる」というものであったとされる。しかし富野が製作段階で各脚本家にニュータイプの設定について意図的に説明しなかったため、スタッフ間でニュータイプの概念について統一した理解が構築されることはなく、安彦良和(後述)や星山博之といった主要なスタッフは富野が提示するニュータイプの概念に対して口々に違和感を表明している。 ニュータイプという概念に対して『機動戦士ガンダム』の当時のファンの受け止め方は、ニュータイプの設定を深堀りして科学的な観点からの考察を加えることに執心するSFファンからの流入層と、アニメで始めてSFに触れ、ニュータイプの概念を成長の比喩表現として受け取ったアニメファン層の間で二分されていた。一方で富野の関心や野心は、アニメでしか描けない形で現実世界を描くことや、ニュータイプという概念を用いて現実社会を改革することにあり、設定の深読みに終始するSFファン層には冷淡であった。 富野は1981年2月22日に東京都新宿区の新宿アルタ前広場で行われた「アニメ新世紀宣言」と題するイベントの中で、若いアニメファン層と劇中のニュータイプを重ね合わせるような声明を発表している。しかし富野のそうした発言は次第にトーンダウンしていくことになる。テレビアニメとして放送されたガンダムシリーズのうち、富野が手掛けた第2作目の『機動戦士Ζガンダム』(1985年)におけるニュータイプは、希望的に描かれた前作とはうって変わって悲劇的な存在として描かれている。
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