富士山麓土地開発と富士山麓電気鉄道の開業とは? わかりやすく解説

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富士山麓土地開発と富士山麓電気鉄道の開業

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 03:33 UTC 版)

堀内良平」の記事における「富士山麓土地開発と富士山麓電気鉄道の開業」の解説

1922年大正11年10月当時皇太子昭和天皇)が富士五湖巡幸1924年大正13年)には、富士北麓名勝指定地選定受けた一度世論反対頓挫した富士北麓観光地開発であるが、1924年大正13年6月開発前向きな姿勢であった本間利雄が山梨県知事として着任した本間着任後まもなく、県庁内に「富士嶽開発調査委員会」を設置、「富士嶽開発計画書」を取りまとめた。 1926年大正15年)、「富士山麓電気鉄道」と「富士山麓土地」が設立された。代表取締役堀内就任した富士山麓電気鉄道は、大月から吉田まで敷設されていた鉄道をさらに延伸し、吉田から山中湖へ向かう線と吉田から本栖湖経由して下部までの線を免許申請した。また、富士山麓土地山梨県県有借地した富士五湖一帯を、別荘地として開発する目的設立された。 1927年昭和2年)、富士山麓電気鉄道大月吉田の間ですでに軌道路線持っていた「富士電気軌道」を買収1928年昭和3年)、吉田鳴沢村の間に鉄道馬車走らせ吉田精進湖の間にバス路線持っていた「富士回遊軌道」を買収同年12月吉田起工式が行われた。1929年昭和4年6月新設鉄道線大月吉田の間で開通したまた、同年8月に「山中湖ホテル」を開業富士山麓土地山中湖湖畔旭日丘に別荘地開発し販売始めた1927年昭和2年)、東京日日新聞大阪毎日新聞現毎日新聞)が共催で、「日本新八景選定のためハガキ投票企画した1976年富士急行から刊行された『富士山麓史』によると「湖沼の部には山中湖河口湖それぞれ独立した名称で名乗りをあげていた。この時、堀内良平の胸にひらめいたのが『富士五湖』の名であった山中湖河口湖の名では、まだ、どこの湖とも知れず、さらに投票個々分散して不利になる。(中略良平新聞社行き富士五湖』の新名称で投票することの了解を取るとともに自社株主一株一枚投票呼びかけた。締め切りまでに富士五湖寄せられた票は360票、湖沼の部日本一となった」とある。審査結果富士五湖」は「日本二十五勝」に選定され富士山麓知名度向上に寄与した。 しかし、不景気影響大きく経営状況厳しかった。そこで山中湖付近に大学の学生寮を誘致1935年昭和10年)に富士ゴルフ場開設。また1933年昭和8年)には、1周1600メートルの「富士競馬場」を突貫工事建設し8月ナイター競馬開催している。 このような増収策も経営好転させる至らず、「富士山麓電気鉄道」と「富士山麓土地」を合併し山梨県県有一部返還するなどの事業規模縮小行った

※この「富士山麓土地開発と富士山麓電気鉄道の開業」の解説は、「堀内良平」の解説の一部です。
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