容姿・体格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 08:35 UTC 版)
雪洲は当時の日本人男性としては大男の部類に入る方だったと伝えられている。雪洲自身は身長を172センチメートルまたは173センチメートルを自称しており、1917年の『米国映画名優写真集』では身長170センチメートルと記載されている。しかし、1907年に雪洲が渡米した時に乗船した船の乗客名簿には、雪洲の身長が5フィート6インチ(約168センチメートル)と記載されており、同船した日本人男性24人の中で6番目に背が高かった。大場はそのことから、雪洲が大男とは言い難いと指摘している。一方で中川は、当時の日本人男性の標準からすると、身長168センチは決して低くはないと述べている。日本の映画業界では、箱馬などの踏み台に乗って背を高くすることを「セッシュ」と呼ぶが、これはハリウッドのスターに比べて身長が低かった雪洲が、踏み台に乗って演技をしたことが由来とされている。 雪洲は少年時代から端正な顔立ちをしていた。顔が大きいことでも知られ、脚本家の舟橋和郎は雪洲に会った印象について「大きく立派な顔だった」と述べている。中川は、兄の音治郎の葬式の時の集合写真を見て、雪洲の顔が他の人たちと比べて飛びぬけて大きいと指摘している。額にほくろがあることも特徴的で、1922年に雪洲が初帰国した時の『読売新聞』の記事の見出しには「お馴染みのほくろを見せて雪洲氏」と書かれていたが、大場が調べたところによると、雪洲のブロマイドでほくろが写っているものは多くないという。 雪洲は剣道で日々鍛錬を重ねていたこともあって身体が鍛えられており、そのおかげで70歳を過ぎても肉体的に若々しかった。『悲劇の将軍 山下奉文』を見て雪洲を『戦場にかける橋』に起用したデヴィッド・リーンは、雪洲が山下奉文を演じた際、貫禄のある山下の姿に似せるべく、軍服の下に肉(または湯たんぽ)を入れて演技をしていたことを知らず、戦地の軍人を演じる俳優が腹の出た中年太りでは困るとして、『戦場にかける橋』に出演する時は10キロほど体重を落とすように命じたが、実際の雪洲は日々鍛えていたおかげで腹が出ていなかったという。また、雪洲は1926年頃にニューヨークで出会った野口英世から、「あなたは血が非常に清潔過ぎる」と診断され、それ以来「私の血は清すぎる」とあちこちで言っていたという。
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