宮崎県再置後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 06:33 UTC 版)
1884年 - 九郡・八郡役所設置(宮崎郡、南那珂郡、北那珂郡、児湯郡、東臼杵郡、西臼杵郡、東諸県郡、西諸県郡、北諸県郡。宮崎郡と北那珂郡は同一の郡役所) 1888年 - 陸軍宮崎大隊区設置。 1889年 - 町村制実施され、5町(宮崎、油津、細島、延岡、都城)95村に統合される。 - 宮崎大隊区を宮崎連隊区に改組。 1907年 - 黒北発電所の完成により商用電力供給開始。 - 宮崎連隊区を都城連隊区に改称し、都城に連隊区司令部を建設。 1909年 - 都城に熊本から陸軍歩兵第64連隊転営。 1912年 - 宮崎県き章を制定 1913年 - 国鉄宮崎線(現吉都線)都城まで開通。宮崎県営鉄道(妻線・飫肥線)および宮崎軽便鉄道(後の日南線)営業開始 1916年 - 国鉄宮崎線 宮崎まで開通 1917年 - 宮崎県営鉄道(妻線)国有化 1923年 - 日本窒素肥料(現・チッソ)延岡工場開業(旭化成の前身)。日豊本線開通。 1924年 - 宮崎市および都城市、市制施行 1925年 - 宇垣軍縮により歩兵第64連隊は廃止され、代わって熊本から陸軍歩兵第23連隊転営。 1926年 - 岩切章太郎、宮崎交通の前身である宮崎市街自動車を設立 1932年 - 宮崎県庁本館(宮崎県庁舎)竣工 1934年 - 霧島国立公園指定 1935年 - 宮崎県営鉄道(飫肥線)国有化。国鉄日ノ影線(後の高千穂鉄道高千穂線)開業 1939年 - 「こどものくに」開園 1940年 - 皇紀2600年に伴う紀元二千六百年記念行事を実施。宮崎神宮の拡張や八紘之基柱(あめつちのもとはしら、現・平和台公園)が整備される。八紘之基柱の完成日となった11月25日に日向日日新聞(現・宮崎日日新聞)が創刊。この頃は「聖地」として宮崎を宣伝していた。 1943年 - 戦時企業統合政策により宮崎鉄道・宮崎バス・都城自動車が合併、宮崎交通1社となる
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