宮崎県内の興統法縁・日郷門流の諸寺院の動向
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宮崎県内の富士門流(興統法縁)寺院は日郷門流に属し、小泉久遠寺・保田妙本寺両寺の末寺で、本門宗の設立に参加し、1941年(昭和16年)の「三派合同」にともない日蓮宗に属し、興統法縁会に参加した。 1957年(昭和32年)、創価学会の働きかけにより、宮崎県内の富士門流寺院、日向市財光寺定善寺、同細島妙国寺、同日知屋本善寺、児湯郡新富町本蓮寺、東臼杵郡門川町法蔵寺(旧延岡市松山本東寺末)、日南市飫肥本照寺、以上の6ヶ寺が日蓮宗を離脱し、日蓮正宗に合流。この時、既に無住となっていた細島妙国寺末の本建寺も妙国寺と共に日蓮正宗に合流した。合流後、久妙両山の日向国北部における事実上の末寺頭を務めたこともある定善寺は、日蓮正宗の九州本山となり、妙国寺、本善寺、本蓮寺、法蔵寺、本照寺、本建寺の6ヶ寺は定善寺の旧末寺とされた。しかし妙国寺はあくまで保田妙本寺の末寺であると主張し、定善寺の旧末寺であったとするのは捏造だとして認めず、改宗後も末寺扱いされるのを拒んだ。また、上行寺をはじめとする9ヶ寺が日蓮宗を離脱して大日蓮宗を設立。 1958年(昭和33年)、昨年に日蓮正宗に合流したばかりの妙国寺(興福山)が日蓮正宗を離脱して単立となる。 1960年(昭和35年)、県内の郷門寺院1ヶ寺(本源寺)が日蓮宗を離脱して日蓮正宗に合流。 1976年(昭和51年)、妙国寺(興福山)、日蓮宗に復帰。復帰にあたっては小西法縁の協力を得たため、現在は小西法縁にも所属。 1989年(平成元年)、上行寺を含む大日蓮宗の8ヶ寺が日蓮宗に復帰。 2006年(平成18年)、1989年以降単立となっていた旧大日蓮宗の残る1ヶ寺、児湯郡都農町龍雲寺も延岡市本東寺より住職を迎え日蓮宗に復帰。
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