宮将軍が鎌倉幕府に果たした役割とは? わかりやすく解説

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宮将軍が鎌倉幕府に果たした役割

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 01:12 UTC 版)

宮将軍」の記事における「宮将軍が鎌倉幕府に果たした役割」の解説

そもそも鎌倉幕府朝廷律令制度巧妙に利用して成立した統治機構であった幕府政治機構である政所開設従三位上の貴人許される特権であり、政所職員朝廷から叙位を受け官吏として処遇を受ける。幕府統治支えた守護地頭制や大犯三箇条朝廷勅許勅命よるものであった。そのため、源氏将軍であれ摂家将軍であれ、代々将軍位階三位達しない段階では政所開設できず、また幕府命令書も将軍三位昇るまでは袖判下文三位以上となった段階政所下文とその格式採用することができた。宮将軍擁立以降統治機構政所となり、また、その命令書も政所下文となることが常となった鎌倉幕府法的な正当性常時保たれることとなったのである。まして、親王ともなれば、その命令書は令旨として法的な効果有するのであるまた、名目上存在であっても将軍あくまでも幕府首長であり、すべての御家人主君であることから、御家人たちに対して一定の求心力要求された。そのため、もとは伊豆一介の小豪族に過ぎない出自低さから北条氏は、将軍職に就くことはできなかった。 後鳥羽上皇による承久の乱では鎌倉幕府勝利終わったものの、鎌倉幕府朝廷より征夷大将軍としての任命受けて成立している以上、朝敵されれば政権としての正当性失いかねず、摂家将軍安定性欠いていた。実際頼経傀儡であることを嫌い幕府実権北条氏から奪取しようとしたことは、幕府及び北条氏摂家将軍見切りをつける大きな要因となった。その点、宮将軍鎌倉幕府朝廷結びつける役割果たし幕府存在自体正当化させる上で非常に大きな意義持った康元2年1257年2月26日北条時宗(のち第8代執権)は宗尊親王烏帽子親として元服し『吾妻鏡』同日条)、その偏諱(「宗」の字)を賜ったその後得宗専制」が始まると、時宗の子・貞時とその子高時惟康親王守邦親王偏諱を受けなかったが、鎌倉時代末期元徳3年/元弘元年1331年)に元服した高時嫡子は、将軍守邦親王偏諱を賜って「邦時」と名乗っている。その他、第6代執権長時系統にして得宗次いで高い家格を誇る赤橋流北条氏歴代当主義宗―久時―守時)も宗尊親王久明親王守邦親王偏諱受けている。のちに執権となる人物宮将軍偏諱受けたのは、第8代執権時宗第16代執権守時の2名であった

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