実業家と建物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 10:16 UTC 版)
那須善治 (なす ぜんじ) 灘購買組合(その後合併して灘神戸生協となる)の創設者。1983年(昭和13年)12月19日没。川之石に生まれた。 那須金市 (なす きんいち) 下関市で大きく水産業を営み、財をなした。内之浦に生まれた。「内之浦公会堂」 昭和12年(1937年)に、郷土出身の実業家・那須金市の寄付によって建てられた公会堂。 「那須金市別邸」別府市平田町2-1 昭和運輸グループ別府荘になっている。那須金市の別邸。 菊池庸夫邸(西のおやけ)(きくち つねおてい)屋号を「西のおやけ」といい、海運業を営んでいた家です。かつては、宇和島藩きっての海運の町であった雨井は、江戸時代(天保年間)から海運業が栄えていた。「おやけ」(菊池家)、「ほていや」(兵頭家)、「いずみや」(和田家)、等の大きな廻船問屋があり、千石船で、地域特産の櫨、木蝋、魚や、九州方面の米・材木等を大阪方面に輸送していた。 旧白石和太郎洋館 (しらいし わたろう) 竣工は明治30年代(1897年〜)、鉱山経営等で財をなした白石和太郎によって建てられたもの。昭和25年(1950年)から平成元年(1989年)まで川之石ドレスメーカー女学院として使用され、地元では「ドレメ」という愛称で呼ばれていた。 旧宇都宮壮十郎邸(明治34年築 1901)宇都宮壮十郎も鉱山の経営で富を築いた。 宇和紡績会社 東洋紡績の前身である宇和紡績会社は、四国で初めての紡績会社(明治20年創業 1887)。明治22年、四国で最初に灯った電灯はここでのものだった。 第二十九国立銀行(第二十九銀行)明治11年設立(設立に、「おやけ」当主も関わった。)→1934年八幡浜商業銀行、大洲銀行と合併し豫州銀行 (現伊予銀行になる)。
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