実業家としての西川
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 07:52 UTC 版)
1971年(昭和46年)、9年間勤めた会社を退職して独立。モータリゼーションの進展を予感し自動車関連事業を志す。資本金100万円で株式会社ニシカワ商会(パーク24)を設立し、最初に手がけたのは駐車禁止表示看板の販売事業であった。ある日彼は看板の営業に出かけた中華料理店で、無人の駐車場管理を可能にするパークロックシステム(駐車すると地面からロック板が上がってきて車が出られなくなる機械)が設置されているのを見つける。製造元の日本信号株式会社は民間への営業窓口を持っておらず、この斬新な製品をうまく普及させることができていなかったため、ニシカワ商会が病院やホテルにこれを売り込んで成功する。 1985年(昭和60年)8月にはニシカワ商会から駐車場の保守・運営管理部門を独立させる形で資本金1,000万円でパーク24株式会社を設立し、代表取締役に就任する。1991年(平成3年)12月には、パークロックシステムを利用した24時間無人の時間貸駐車場「タイムズ」の展開を開始する。車が数台しか止められないような狭い土地でも経営が成り立つため、土地を有効活用したいオーナーのニーズと、身近な場所に時間貸駐車場を望んでいたドライバーの需要の両方を捉えてみるみるうちに数を増やした。タイムズは2005年(平成17年)時点で駐車可能台数の総計が10万台を超える日本最大の駐車場ネットワークとなっている。
※この「実業家としての西川」の解説は、「西川清」の解説の一部です。
「実業家としての西川」を含む「西川清」の記事については、「西川清」の概要を参照ください。
- 実業家としての西川のページへのリンク