実業家としての一歩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 09:26 UTC 版)
その後、明治21年(1888年)、灘五郷で出来た清酒の東京への回漕を手掛ける海運会社摂州灘酒家興業会社の設立に際して、発起人として名を連ね、更には酒造家が東京の問屋から代金を回収するまでの運転資金を融通する銀行の設立にも参画し、実業家としての一歩を踏み出した。また、明治23年(1890年)に創刊された日刊「神戸日報」を買収して、経営に参画するなどしている。 しかしながら、銀行経営は当初うまく軌道に乗ったものの、見通しの甘さから経営が破綻、藤吉は破産に追い込まれた。そこで岡崎家に累が及ぶ事を恐れた藤吉は、娘を戸主にして家を出て、就任していた役職を全て退いた。
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