実業家への転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 00:34 UTC 版)
猪谷はAIUのニューヨーク本社で2年間の研修を受けた後、1961年、AIU日本支社の傷害保険部初代部長に就任した。猪谷はビジネスの世界に進むにあたり、45歳までにどこかの社長になることを目標としており、AIUに入社したのは、学閥や天下りなどの影響のない外資系企業であれば、その目標を叶えやすいと考えたためであった。 当時、日本の消費者の間では傷害保険という概念自体が浸透しておらず、また戦前に加入していた保険が第二次世界大戦の終戦とともに無価値になったという記憶もまだ新しかったため、AIUの商品は消費者に簡単には受け入れられなかった。猪谷は、消費者の間にあるアメリカ文化への憧れを利用し、AIUがアメリカの会社であることを強調してみたり、逆にAIUのマニュアルの修正や日本固有の商品開発といった、日本の消費者に合わせるためのローカライズに力を入れてみたりと、様々な営業活動を行い、AIUの商品の普及に努めた。こうした活動が評価され、1978年、猪谷は47歳で、AIUグループの会社であるアメリカンホーム保険会社の社長に就任する。
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