宗教・軍事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 07:14 UTC 版)
イベリア半島ではキリスト教勢力とイスラム教勢力に軍事の違いがあり、封建制に基づく臨戦態勢が構築された前者に対し、後者には農村自治体が直接貢納を媒介して国家と結びつくため、そうした封建領主が不在だった。非軍事的かつ市民社会のアンダルスは小規模なタイファの軍隊のみで、タイファ諸国は内心ムワッヒド朝の介入を嫌っていたが、イブン・マルダニーシュの脅威を前に外来のムワッヒド朝に頼る他なく、アルムーミンに介入を懇願したことがムワッヒド朝のアンダルス遠征のきっかけになった。 ムワッヒド朝はタウヒードをイデオロギーにしてマスムーダ族を軍事的支柱に据えたが、アラブ人やマスムーダ族のベルベル人、黒人、トルコ人などが次第に軍中枢を圧倒した。この雑多な外人部隊はカリスマ的指揮官以外に統制が取れず、彼等の増加がムワッヒド朝のイデオロギーへの忠誠心を失わせ、ナバス・デ・トロサの戦いで兵士たちが逃亡して敗北するまでになった。 また、ムワッヒド朝は宗教に不寛容で、カリフはユダヤ人を迫害、マーリク学派を弾圧、イベリア半島で上陸するとジハードを鼓舞したが、イベリア半島の文化に触れ教養を身に着けると信仰心を失い、宗教的熱狂は冷めていった。哲学の流行で発生した神学論争の影響もあり、ルシュドとの関わりが深かったマンスールはムワッヒド朝の基本教義であるトゥーマルトの不謬性を信じていなかったという。異教徒弾圧にも不明な点が多く、ムラービト朝の頃からタイファはおろか民衆もジハードに無関心だった状態を変えられなかったムワッヒド朝は、カリフがアンダルスの気風に馴染むと当初の宗教的熱狂を失い民衆との乖離を招いた。やがてマアムーンがキリスト教傭兵を雇ったりタウヒード思想を放棄したことでムワッヒド朝は正統性を失い、ハフス朝誕生など領土の分裂を促し滅亡へ至った。
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