安土桃山時代~江戸時代前期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 07:38 UTC 版)
「近代以前の日本の人口統計」の記事における「安土桃山時代~江戸時代前期」の解説
吉田東伍は1人1石という仮定に基づいて1598年の慶長石高から1600年の推定人口を1850万人と見積もった。これに対し速水融(1966年)は元和2年(1622年)の小倉藩の人畜改帳を元に1石0.28~0.44人と石/人比を訂正し、1600年の推定人口を622万~980万人と推定した。 後に速水融(1973年)は太閤検地石高による推定人口を破棄し、江戸時代中期以降の幕府掌握人口から逆算して1600年の推定人口を求めた。即ち諏訪郡の人別改帳の研究などから150年で人口が3倍になる成長パターンを導き、1600年の推定人口を1230万人へ改訂した。鬼頭宏の1600年から1750年までの推定人口は、速水融の学説をまとめたもので、江戸時代前半の人口成長パターンが150年間で3倍になるロジスティック関数によると仮定し(50年後に1.41倍、100年後に2.67倍、150年後に3倍)、寛延3年(1750年)の推定人口(江戸幕府調査人口に20%上乗せしたもの)から遡って計算している。その際全国を先進国(山城、大和、摂津、河内、和泉)、中進国(尾張、美濃、伊賀、伊勢、近江、丹波、播磨)、後進国(その他)に分類し、人口成長の開始期をそれぞれ1500年、1550年、1600年と仮定する。 但し最近になって鬼頭宏(2000年)は速水融推計を過小とし、17世紀の人口増加率を0.58~0.65%/年に下方修正して1600年の推定人口を1432万~1547万人と上方修正している。また斎藤修(2000年)は1450~1600年以前の人口増加率を0.3%/年、1600~1721年の人口増加率を0.51%と仮定して、1600年の推定人口を1700万人と算出した。ファリスの1600年の推定人口(1500万~1700万人)は、鬼頭宏(2000年)と斎藤修(2000年)の研究の折衷である。また藤野正三郎(2008年)は17世紀前半の大藩の人口増加率(0.4%)から1600年の推定人口を1940万人、1650年の人口を2365万人、1700年の人口を1700万人と算出した。
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