安土殿説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 07:00 UTC 版)
信長の次男・織田信雄が天正15年(1587年)頃の家族や家臣団の構成をまとめた『織田信雄分限帳』に、あつち殿(安土殿)という人物が書かれているが、これが濃姫を指すのではないかと考えられている。 記載によると、安土殿は600貫文の知行を与えられているが、女性としては御内様(信雄正室、北畠具教の娘)、岡崎殿(徳姫、信雄の実妹)に続く3番目に記載され、その次の大方殿様は信長生母・土田御前と推測され、5番目が小林殿(牧長清室、信長妹)となっていて、織田家における地位の高さが伺える。安土城の「安土」という土地を冠されていることから、その地と所縁の深いのはすなわち信長の妻で、それも正室にあたるのではないかと推測された。「安土殿」が濃姫だとすれば、この時点で生存していたことになる。 平成4年(1992年)、岡田正人は、調査によって鷺山殿の法名が安土摠見寺蔵『泰巌相公縁会名簿』に「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七年壬子七月九日 信長公御台」と記されていたと発表した。また京都の大徳寺総見院には「養華」と刻まれた五輪供養塔(卒塔婆)があると奉じ、NHKの大河ドラマ『信長』内で、従来説を覆し、濃姫(鷺山殿)が慶長17年7月9日(1612年8月5日)まで78歳の天寿を全うしたと放送した。また岡田正人は養華院は濃姫であると主張し、於濃(濃姫)の墓所との地元伝承のある瑞龍寺墓所については玉泉院(前田利長室)の生母は別人であろうと推定した。これらが正しければ、濃姫は(織田氏の菩提寺である)大徳寺総見院に埋葬されている可能性がある。 上記の岡田正人の説に対して、永田恭教は養華院に関する大徳寺の記録は全て寵妾となっていることから、養華院は濃姫ではなく側室の一人であったと反論をしている。
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