安土桃山期以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 17:41 UTC 版)
「勝願寺 (古河市)」の記事における「安土桃山期以降」の解説
石山合戦の講和後の慶長7年(1602年)、浄土真宗は東本願寺を本山とする真宗大谷派と、西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派とに分裂した。これにより地方の寺院でも勢力争いが活発化し、磯部6か寺も東西に分裂した。当寺も当初は西本願寺に属していたが、元和9年(1623年)までに東本願寺へと変わった。 江戸期には浄土真宗の関東七大寺のひとつと称され、江戸幕府から朱印地10石を与えられ、古河藩土井氏家臣の寺田与左衛門から5反歩の供仏田の寄進を受けた。 寺内には古河市の文化財に指定されている中世関連文書などのほか、蓮如筆阿弥陀如来画像や関宿藩主・久世広運の妻が嫁ぐ際に使われたとされる駕篭が残されている。
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