安土山下町中掟書〈天正五年六月日/〉
主名称: | 安土山下町中掟書〈天正五年六月日/〉 |
指定番号: | 129 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1990.06.29(平成2.06.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 古文書 |
ト書: | |
員数: | 1巻 |
時代区分: | 桃山 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 織田信長が安土城築城に着手した翌年の天正五年(一五七七)六月に、城下町安土を新たなる商業、交通の拠点とするために出された掟書で、楽市楽座令の典型としてつとに著名なものである。 楮紙三紙を継いで料紙とし、本文は全文十三箇条からなり、第一条で山下町中を楽市と定め、座の特権を廃止し、山下町住人に対する諸課役、諸公事の賦課を免除するとともに、第二条で中山道往還の商人は安土に寄宿するよう命じている。第十三条では近江国内の博労の馬売買を山下町に限定するほか、城下町繁栄のための住人の保護や町内の治安、統制に関する条項などを収め、奥に降り竜の朱印一顆を捺している。また紙継目紙背には馬蹄形の黒印各一顆がある。 信長の楽市楽座令は、美濃加納、近江金森の例が知られるが、いずれも条文は三箇条と少ないのに対し、この安土山下町中掟書は内容がもっとも豊富で、戦国末より近世初頭に出された城下町の建設や取締りに関する都市法の先駆形態を示すものといえる。 附とした八幡山下町中掟書は、比牟礼山に城を築き、安土山下町を八幡山下の島郷に移した豊臣秀次が天正十四年(一五八六)六月に出した掟書十三箇条で、その内容は信長の安土山下町中掟書をほぼ踏襲しつつ、湖上交通の船に関する規定、天正十年の本能寺の変以前の債務を破棄することや、所々の市を八幡山下町に吸収することを定めた条項が加えられており、安土から近江八幡へという城下町の変遷を考える上に重要であり、あわせて保存をはかることとしたい。 |
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