安倍・福田・麻生政権とは? わかりやすく解説

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安倍・福田・麻生政権

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 18:48 UTC 版)

谷垣禎一」の記事における「安倍・福田・麻生政権」の解説

第1次安倍内閣において谷垣派閣僚および党三役ポスト一つ獲得できず、党内非主流派に回った[要出典]。与党過半数割れ大敗喫した第21回参議院議員通常選挙後は、安倍内閣政治姿勢続投公の場疑問を呈する等、批判度合い強めていたが、参院選後の内閣改造党役員人事においても谷垣派からの閣僚党三役への起用見送られた。同年9月安倍首相辞任受けて行われた自由民主党総裁選挙一時出馬検討したが、出馬表明を行った内閣官房長官福田康夫を派を挙げて支持し自身出馬見送った幹事長当時)の麻生太郎破り総裁選出され福田の下で政務調査会長起用され初め党三役入りした。福田政権発足契機に、加藤の乱以来懸案であった宏池会再結集動き一気具体化し2008年1月には古賀谷垣両派の合併決定中宏池会構想)。 詳細は「宏池会#古賀派谷垣派の再合流」を参照 同年5月発足した古賀派では代表世話人就いたが、新派閥の総裁候補棚上げされたままで、また派内には菅義偉麻生支持する議員少なくなく、派を挙げて谷垣一枚岩支援する体制は整わなかった[要出典]。2008年福田康夫改造内閣国土交通大臣任命されるも、福田間もなく辞任。それに伴う自由民主党総裁選挙でも出馬意欲見せたが、福田康夫内閣一員であった立場考慮し断念宏池会自主投票決定した。この総裁選では、宏池会から麻生派会長麻生太郎無派閥与謝野馨率先して支持する議員現れ2度続けて出馬見送った谷垣影響力低下感じさせた。 2009年第45回衆議院議員総選挙では、京都5区民主党新人の元自衛官小原舞猛追を受けるも7,032票差で逃げ切り10選(小原比例近畿ブロック復活当選している)。しかし、この総選挙旧民主党への政権交代起き民社国連立政権鳩山由紀夫内閣成立)、自民党大敗総選挙17日後の9月16日麻生内閣総辞職し、(連立政権形成していた公明党とともに野党転落した

※この「安倍・福田・麻生政権」の解説は、「谷垣禎一」の解説の一部です。
「安倍・福田・麻生政権」を含む「谷垣禎一」の記事については、「谷垣禎一」の概要を参照ください。

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