安井道頓とは? わかりやすく解説

やすい‐どうとん〔やすゐダウトン〕【安井道頓】

読み方:やすいどうとん

[1533〜1615]安土桃山時代土木家。河内(かわち)の人。豊臣秀吉仕え大坂城築城従事。のち、東横堀川木津川とを結ぶ水路現在の道頓堀川開通着手したが、大坂夏の陣戦死。→道頓堀


成安道頓

(安井道頓 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/06 13:36 UTC 版)

成安 道頓(なりやす どうとん、?[1][2] - 慶長20年5月7日1615年6月3日[3][4])は、安土桃山時代から江戸時代初めにかけての人物。道頓堀の開削者として知られる。俗名は善九郎[3][5]。弟に成安長左衛門がいる[3][6]

かつての通説では安井 道頓(やすい どうとん)と呼ばれ、を成安、通称を市左衛門(または市右衛門)[注釈 1]とされたが[7]、成安氏出身とする説が有力となっている[1][8]

来歴

贈従五位安井道頓安井道卜紀功碑(2007年9月5日撮影)

摂津国住吉郡平野庄(平野郷[9]、現在の大阪府大阪市平野区[10])の成安氏出身で、成安宗列の子[3][11]。成安氏は坂上田村麻呂の子・広野麻呂の末裔という平野の七名家の1つである[12]

道頓は豊臣秀頼と親しく、佐渡金山の下奉行に任じられていたという[13][14]。佐渡へは成安五郎左衛門と成安次郎左衛門(後の奥野清純)を名代として派遣していた[13][14]

慶長17年(1612年)、平野の住人である平野藤次(藤次郎)や安井治兵衛、河内国渋川郡[15]久宝寺(大阪府八尾市[15])の住人・安井九兵衛定吉(道卜)と共に、公儀より申し請けて後の道頓堀の開削を開始した[16][3]。道頓堀の掘削は、豊臣秀吉の頃に道頓が命じられたもので、安井治兵衛や平野藤次、道頓の弟の長左衛門を組下として行ったともいわれる[17][3]。『末吉家文書』や『安井家文書』によると、堀の掘削は道頓らの私費で行われたという[18]。道頓らは日本橋の20(約36メートル)四方に角屋敷を与えられ、道頓はその内の南西角を与えられた[3][4]。また、道頓らは諸役を免除された[3][4]

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣に際して道頓は大坂城に籠城した[3][19]。日本橋南東角の安井治兵衛の屋敷を預かる手代の太郎右衛門も共に籠城している[16][3]。道頓は道頓堀の芦原付近を守り、慶長20年(1615年)5月7日に戦死した[3][4]。道頓の弟・長左衛門も道頓と共に討死し、長左衛門の一子は行方不明となった[3][4]

道頓の死後、道頓堀川の開削は平野藤次・安井九兵衛により続けられ、元和元年(1615年)11月に完成した[20]。この時できた川は当初は新川と呼ばれ、後に南堀川、その後、道頓堀川と呼ばれるようになった[21]延宝3年(1675年)成立の地誌[22]『蘆分船』には、自然と道頓堀と呼ばれるようになったという説が記され[3][23]、江戸時代後期には、大坂城主の松平忠明(元和5年〈1619年〉に大和郡山城に移封[24])が戦死して家名が断絶した道頓を憐れみ、その名が残るよう道頓堀と名付けたという説が見られた(『安井家由緒書』)[3][25]

1914年大正3年)、「安井市右衛門成安」として従五位が追贈され[3][26][27]1915年(大正4年)には、大阪府知事大久保利武と地元の有志により、日本橋の北東角に紀功碑が建てられた[3][28]

道頓の出自と道頓堀裁判

道頓堀の開削に携わった安井九兵衛(道卜)の子孫が、1877年明治10年)前後に「安井系譜」という筆写本を作成している[29]。安井家に伝わる文書の注解のためのもので、この中で道頓は安井家出身で九兵衛の従兄弟とされている[29]。道頓を安井氏とする従来の通説はこれに基づいている[30]

この通説に対し、商業史や郷土史を研究する[31]佐古慶三は、1928年昭和3年)発行の『南区志』[32]1933年(昭和8年)発表の「道頓堀開鑿者安井道頓」において異議を唱えた[3][33]。佐古は、平野の七名家の1つである末吉家に伝わる史料の中で「平野藤次郎」や「安井九兵衛兄弟」らと共に「成安道頓」が併記されていることから、この「成安」は姓と捉えるのが自然であるとし、道頓が平野七名家の1つである成安家の出身との見方を示した[33]

1936年(昭和11年)、佐古は「道頓と道卜―道頓の再検討―」を発表し[3][34]、新出の奥野家文書を用いて前説を補強した[34]。奥野家は七名家と姻戚関係にある平野の旧家で、7代目当主・清純は成安家からの養子だった[35]。その奥野家には成安家の系図などが伝わっており、それらには道頓が成安家の出身であることが記されている[35]。また、道頓の後室は七名家の1つ・西村家に嫁いだが、西村家の系図には「成安道頓後室」とあり、道頓の娘が嫁いだ七名家の1つ・土橋家の系図には「成安善九郎道頓之女」と記されている[35]。このほか、「安井系譜」では安井九兵衛が道頓の姉妹を娶り、道頓と九兵衛が義兄弟になったとされているが、佐古は九兵衛の妻が御瓦師寺島家の出であることも突き止めている[35]

1965年(昭和40年)1月、道頓堀川の河川敷地の所有権を確認する訴訟が、安井九兵衛の子孫により起こされた(道頓堀裁判[36]。原告による当初の主張の中に、道頓が豊臣秀吉から道頓堀川河川敷地とその両側の土地を拝領したということや、道頓と安井九兵衛が血縁上は従兄弟、法的には兄弟で、九兵衛が道頓の家名を相続したというものがあり[37]、そのため道頓が安井氏出身であるかどうかが争点の1つとなった[38][注釈 2]。この裁判では佐古慶三らが鑑定人となっており[40]、被告となった国や大阪府・大阪市は佐古の論文や、佐古の説を合理的として支持する宮本又次の著書『大坂町人』(1957年刊)などを書証として法廷に提出した[41]1976年(昭和51年)10月、原告の訴えを退ける判決が言い渡されたが、その中では道頓を成安氏出身とする説について有力であると述べられている[42]。成安氏説については、脇田修も正しいとしており[2]、定説になったといわれている[43]

妻子

道頓の妻は藤という名で、法名は妙祐[3][44]。道頓の祖父・道是に宗悉(初め宗叱)という弟がおり、その娘に当たる[44]。道頓の死後、西村三郎兵衛祐慶(天正元年〈1573年〉生まれ[3])に嫁いだ[3][44]。祐慶との間に三郎右衛門が生まれ、その子に奥野家の10代当主・祐可がいる[44]

また、道頓には一女があり、土橋九郎右衛門重俊の前妻となっている[3][45]。道頓の娘は2人の男子を儲けた[3][45]。土橋重俊はその後、三好生勝の娘を後妻として娶っている[45]

道頓の登場する作品

小説
  • 司馬遼太郎「けろりの道頓」 - 1960年(昭和35年)発表の短編小説[46]。姓は「安井」を採用している[46]。『新装版 おれは権現』(講談社文庫、2005年)[47]、『新装版 最後の伊賀者』(講談社文庫、2007年)[48]、『司馬遼太郎短篇全集 第三巻』(文藝春秋、2005年)[49][50]に所収。
テレビドラマ
舞台

脚注

注釈

  1. ^ 「安井系譜」に市左衛門、「安井道頓・安井道卜紀功碑」に市右衛門とある[5]
  2. ^ 1966年(昭和41年)5月の訂正申立により、道頓堀川河川敷とその両側の土地については、道頓や安井九兵衛・安井治兵衛・平野藤治(藤次)の4人が豊臣政権から拝領したものという主張に変更された[39]

出典

  1. ^ a b 岡本良一安井道頓」『日本大百科全書(ニッポニカ)』https://kotobank.jp/word/%E5%AE%89%E4%BA%95%E9%81%93%E9%A0%93#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29コトバンクより2024年5月25日閲覧 
  2. ^ a b 木下昌輝・三上祥弘. “第16話 成安道頓(生年不詳-1615年)”. なにわ大坂をつくった100人. 公益財団法人関西・大阪21世紀協会. 2024年5月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 柏木輝久「成安道頓」『大坂の陣豊臣方人物事典』北川央 監修(2版)、宮帯出版社、2018年、498–499頁。ISBN 978-4-8016-0007-2 
  4. ^ a b c d e 牧 1981, pp. 133–135.
  5. ^ a b 牧 1981, p. 97.
  6. ^ 牧 1981, pp. 96, 133–134.
  7. ^ 牧 1981, pp. 14, 97.
  8. ^ 藤本篤道頓堀」『改訂新版 世界大百科事典』https://kotobank.jp/word/%E9%81%93%E9%A0%93%E5%A0%80#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8コトバンクより2024年5月25日閲覧 
  9. ^ 牧 1981, p. 95.
  10. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, pp. 1054–1055.
  11. ^ 牧 1981, p. 98.
  12. ^ 牧 1981, pp. 31, 98, 118.
  13. ^ a b 「当家医業他家有之弁」(『奥野家文書』)。
  14. ^ a b 牧 1981, p. 96.
  15. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 405.
  16. ^ a b 『貞享三年七月十九日安井九兵衛道頓堀組合支配由緒書』。
  17. ^ 「坂上家幷七名主其外聞書一説」(『奥野家文書』)。
  18. ^ 牧 1981, pp. 31, 100.
  19. ^ 牧 1981, p. 99.
  20. ^ 牧 1981, pp. 14, 17–18, 20, 136.
  21. ^ 牧 1981, p. 132.
  22. ^ 牧 1981, p. 30.
  23. ^ 船越政一郎 編「蘆分船 第三」『浪速叢書 第十二』浪速叢書刊行会、1927年、96頁。全国書誌番号: 52011904https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3436503/55 
  24. ^ 牧 1981, p. 128.
  25. ^ 牧 1981, pp. 103–104, 113–114.
  26. ^ 牧 1981, pp. 16–18.
  27. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 二』国友社、1927年、650–651頁。全国書誌番号: 73015512https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1915586/351 
  28. ^ 牧 1981, pp. 19–21.
  29. ^ a b 牧 1981, pp. 24–26.
  30. ^ 牧 1981, pp. 16, 19, 22.
  31. ^ 谷沢永一 編「佐古慶三」『なにわ町人学者伝』潮出版社、1983年、107–115頁。全国書誌番号: 83032951 
  32. ^ 佐古慶三 著「道頓堀開鑿者安井道頓に関する一疑問」、大阪市南区長堀橋一丁目外九十一ヶ町区 編『南区志』大阪市南区役所、1928年、536–537頁。全国書誌番号: 47021195https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1178519/317 
  33. ^ a b 牧 1981, pp. 29–31.
  34. ^ a b 牧 1981, p. 32.
  35. ^ a b c d 牧 1981, pp. 95–98.
  36. ^ 牧 1981, pp. 4–5.
  37. ^ 牧 1981, pp. 35–36, 42–43.
  38. ^ 牧 1981, p. 5.
  39. ^ 牧 1981, pp. 42–43.
  40. ^ 牧 1981, p. 10.
  41. ^ 牧 1981, pp. 5, 98.
  42. ^ 牧 1981, pp. 213, 215–216.
  43. ^ 第54回特集展示 安井家文書の世界-近世都市大坂の建設をになった人びと-”. 大阪歴史博物館 (2013年7月18日). 2024年5月25日閲覧。
  44. ^ a b c d 牧 1981, pp. 95–96.
  45. ^ a b c 牧 1981, pp. 97–98.
  46. ^ a b 福島敏雄. “【とん堀幻視行(3)】道頓堀繁栄の功績にお墨付き 三津寺墓地”. 産経ニュース. 株式会社産経デジタル. 2024年5月25日閲覧。
  47. ^ 新装版 おれは権現”. 講談社BOOK倶楽部. 講談社. 2024年5月25日閲覧。
  48. ^ 新装版 最後の伊賀者”. 講談社BOOK倶楽部. 講談社. 2024年5月25日閲覧。
  49. ^ 司馬遼太郎短篇全集 第三巻”. 文藝春秋BOOKS. 文藝春秋. 2024年5月25日閲覧。
  50. ^ 司馬遼太郎短篇全集 第3巻”. 国立国会図書館サーチ. 国立国会図書館. 2024年5月25日閲覧。
  51. ^ 普段の新喜劇と一味違う「大坂の陣新喜劇」 すっちー主役の成安道頓の物語で遂に完結!”. ぴあ関西版WEB. ぴあ株式会社 (2015年8月14日). 2024年5月27日閲覧。
  52. ^ すっちー“金属製の何か”で新乳首ドリル狙う、「大坂の陣新喜劇」完結編”. お笑いナタリー. 株式会社ナターシャ (2015年8月10日). 2024年5月27日閲覧。
  53. ^ すっちー演じる成安道頓ら町人パワーが炸裂!本格殺陣にも注目の「大坂の陣新喜劇」完結編が開幕”. よしもとニュースセンター. 吉本興業ホールディングス株式会社 (2015年10月2日). 2024年5月27日閲覧。

参考文献

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