成安氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/07 04:26 UTC 版)
なお道頓は、安井定次の子とされるが、安井氏の出身ではなく、成安氏出身の成安道頓(なりやす どうどん)とする見解もある。「道頓堀川裁判」での佐古慶三による安井家文書などの鑑定では道頓は安井姓ではなく成安姓であると結論づけられている。 成安氏は、征夷大将軍の大納言坂上田村麻呂の次男で平野郷の開発領主となった坂上広野の子孫といわれる平野氏の七名家(しちみょうけ)の一つである。成安氏から安井氏になったとするこの説に対して、成安氏は摂津国に住した氏だが、道頓は河内国の出身とされていることから、否定する向きもある。しかし、摂津国の南東端に位置する平野郷は、河内国に隣接しており、成安氏の一族である坂上・平野氏は河内国にも支配地を持っていたことから、成安道頓は河内国で生まれた可能性は否定はできない。 郷土史家の中には、安井氏は本願寺の攻撃を受けた際に多くの一族を失い、定次一人が生き残ったものと思われることから係累がなく、定次に実子ができなかったために、久宝寺から西に鞍作を挟んで近接する平野郷の有力者であった成安氏から養子を迎えたとする説を唱える者もおり、また、定次と道頓の関係を甥としている史料もあることから、定次の兄弟が成安氏に養子に入っていたか、姉妹が嫁いでいたなど、色々な可能性を指摘する郷土史家もいる。しかしながら、道頓の出自については明らかにされていない。
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