成子家の歴史
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成子本家は和泉国日根郡石田村(現・大阪府阪南市)の出であり、成子善四郎が尾崎村に移り住んで「松屋」の称号で商いを営み始めた。享保元年(1716年)には成子本家から成子善七が分家し、浪花酒造の初代となった。天保年間の5代の成子善七は中興とされ、各所に田畑を所有するなど裕福となった。 6代の成子善太郎は1889年(明治22年)に家督を継ぎ、1890年(明治23年)には大阪府会議員に就任した。1896年(明治29年)には尾崎銀行(池田泉州銀行の前身の一つ)を設立して頭取となり、2000石を生産して「浪花正宗」の名が広まった。1916年(大正5年)には成子家の主屋を建築している。8代の成子光太郎は1927年(昭和2年)に大阪高等工業学校(現・大阪大学)醸造学科を卒業し、大阪国税局で鑑定官技官を務めた。9代の成子善一郎は1953年(昭和28年)に同志社大学を卒業し、1956年(昭和31年)に浪花酒造を継ぐと、大阪府酒造組合の監事や近畿清酒青年醸友会の幹事などを務めた。 10代の成子和広は1984年(昭和59年)から山梨県のワイン工場に勤務し、1987年(昭和62年)に浪花酒造に戻って日本酒の醸造に取り組んだ。2001年(平成13年)10月12日には「成子家住宅主屋」「成子家住宅離れ」「成子家住宅表門」「成子家住宅塀」が登録有形文化財に登録された。
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