成子坂司会期
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放送開始から半年後の1994年春、番組は高杢と本田の2人を降板させてリニューアル。残ったフォークダンスDE成子坂の2人にribbonの佐藤愛子(当時はグループ解散前)を加え、以後はこの3人を司会に据えて行われるようになった。『タモリのSuperボキャブラ天国』でブレイクした成子坂の若者人気もあり、番組は一時的ながら活気を取り戻した。1995年1月5日(4日深夜)には、本番組から派生した成子坂単独の特別番組『爆笑!フォークダンスDE成子坂ワールド』も放送された。 だが、番組自体は5時SATの頃の勢いに乗る前に打ち切られ、高杢司会期と合わせて1年半で終了することとなった。その後、中京テレビの土曜夕方枠は2000年4月に『クスクス』がスタートするまでの間、ミニ番組や一時的に放送された15分番組『旅はパノラマ』以外はすべて日本テレビ製作番組の時差ネット枠ないしは再放送枠として使われることになった。
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