成婚に関するもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:31 UTC 版)
1955年(昭和30年)- 1956年(昭和31年)ごろ、東京・銀座の小料理店「井上」2階にて、独身時代の三島由紀夫と見合い風の対面をしている(同店女将・井上つる江談。)三島は「こんなに素晴らしい女性はいない」と前向きであったが、破談となり大いに傷ついたという。後に成婚パレードで馬車に向かって投石した少年について、三島は「僕には気持ちがわかる」としたためている。 皇室に嫁ぐ際、お印が白樺に決まると、実家の庭に軽井沢から取り寄せたその苗木を自ら植えた。 成婚に際しては作曲家の團伊玖磨が「祝典行進曲」を作曲した。この曲はのちに長女の紀宮清子内親王が民間家庭へ降嫁する際、皇居から帝国ホテルへ出発する内親王を送迎するためにも演奏された。 国民から盛大な歓迎と祝福を受けたが、このことに関し2004年(平成16年)の誕生日に次のように発表した。「私は今でも、昭和34年のご成婚の日のお馬車の列で、沿道の人々から受けた温かい祝福を、感謝とともに思い返すことがよくあります。東宮妃として、あの日、民間から私を受け入れた皇室と、その長い歴史に、傷をつけてはならないという重い責任感とともに、あの同じ日に、私の新しい旅立ちを祝福して見送ってくださった大勢の方々の期待を無にし、私もそこに生を得た庶民の歴史に傷を残してはならないという思いもまた、その後の歳月、私の中に、常にあったと思います」。 結婚の儀当日天皇から授けられた守り刀は、1955年(昭和30年)に、刀剣では最初の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された刀工高橋貞次の作。浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王の守り刀も彼の作である。
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